古民家再生、古民家物件、リノベーション情報など。

古民家リノベーション体験談41 見積と仕様と心の声(丸出し)

【前回までのあらすじ】宅地開発して美辞麗句で大々的に売り出されてる「せせらぎヶ丘」みたいな新興住宅地を地図・航空写真閲覧サービスで調べて20年前はでっかいため池だったことを確認する神々の遊び

今回は前回とちょっと時系列が逆になりますが、着工の前に離れの見積と仕様の話を。
古民家である母屋の見積は無いまま進めたということは過去に書きましたが、新築である離れは今から建てるので、ちゃんと見積してもらいました。
というか、見積がなかったらローン組めませんものね。

通常、ハウスメーカーや大手工務店であれば、見積の時点で間取りはもちろんドアの金物ひとつに至るまでバシッと仕様を固め、
いいですね?
もうこれで最終確認ですよ?
もう変更できませんよ?
と念押しして、着工となればあとは図面通りに粛々と家が建てられることが多いと思うのですが、
うちの場合はデタラメで、ローン用の見積は取ったものの、そこから僕の思いつきで施工中もガンガン仕様が変えられていったのでした。
我ながら困った施主だと思います。
そしてその思いつきは当然ながら「最終請求額」という形で跳ね返ってきたのです。

なぜこういう状態になったかというと、僕が自分でデザイン・設計したというのが大きな原因です。
といってももちろん図面に起こしたり構造計算などはできないので、前回の通りそこは設計士さんに頼みましたが、それ以外は間取りや屋根勾配や天井の高さ、外壁内壁、窓の種類と位置、床材、壁材、窓枠の材、スイッチやコンセントの種類と数と位置、照明、幅木や廻り縁の材種や寸法や厚みに至るまで、全部自分で指示しました。
あまりに口出しするので工事が始まって早々に現場監督が現場に来なくなったのはいい思い出ですが、毎日施主が口出しするような現場は職人さんたちにとってはたまったもんじゃありません。
しかも職人さんたちが拠り所にするはずの図面は、度重なる仕様変更でほとんど「裏が白い紙」くらいの価値しかなくなってました。
ここで当時のコンセントとスイッチの仕様図をご覧ください。

スイッチ仕様

数字はコンセントの口数、PとかAとかいうのはコンセントの種類ですが、べつに建設業界にこういう記号があるわけではありません。完全に僕のオリジナルです。
具体的な寸法も無い伏図1枚だけを渡された現場は「どないせえっちゅうねん」という感じだったと思います。
親方がいない。現場監督もいない。
手元にあるのは裏が白い紙×2枚。
そしてふんぞり返る施主様。
最悪や。
自分で書いてて最悪やと思います。最悪の現場です。
「どないせえっちゅうねん!」と思っても、まさか施主様にそれを言うわけには…

「兄ちゃん!」

ん?

今なんか聞こえた気が…

「兄ちゃん、これ、どないせえっちゅうねんな!

ワオ!職人さん心の声が丸出し!

そうです。
ここは南大阪のさらに南部。
対人コミュニケーションにおいては、おそらく日本でも唯一の文化を持つ特殊エリアだと言えるでしょう。
南大阪は、基本的に「思ってることがそのまま口に出る」文化圏です。
アパレルショップで手に取った服の値札を見て「たかっ!」と思った時、皆さんはどうするでしょうか。
おそらくポーカーフェイスで黙って値札を戻して、「これくらいするのは知ってた」みたいな雰囲気を装い、店員に気付かれないうちにそっと店を出るのが普通ではないでしょうか。
しかし南大阪は違います。
「たかっ!」と思った0.1秒後に「たかっ!」と言ってしまうのです。
全国の皆さんすみません。
しかも隣で苦笑いしている店員さんに向かって「これめっちゃ高いっすね!」とかリアクション取りづらいことも言っちゃうのです。
今ちょっと脳内シミュレーションしてみましたが、すみません、僕、たぶん言います。
さらに「なんでこんな高いんすか?」とか言うと思います。
東京女子にモテへんやつです。

ということで、南大阪南部特有のこの文化。
職人さんたちの心の声が、ピュア100%の純度でこちらに届くわけです。
以下、ピュア100%のやりとり。

「兄ちゃん、これどないせえっちゅうねんな!」
「いや、これをここに付けてって書いてるやん」
「こんなもんここに付けるのおかしいやろ」
「おかしないって」
「おかしいわこんなん」
「とにかくここに付けて欲しいねんけど」
「いや、位置がおかしい。こんなん誰に聞いてもおかしい言うで」
「えー」
「ほな他の人に聞いてみよか。○○ちゃーん、施主さんがなー、ここにこれ付けるって言うてるねんけど、ここはおかしいやろ」
「あーそこはおかしいっすね」
「おかしないって! そこに付けるのがカッコええねんから!」
「いや、カッコとかじゃなくて普通におかしいっすよ」
「もおおおお!!」
(以下10分ほどグダグダ続く)

誇張ではなく毎日ほんとこんな感じでした。
こういった裏表のないコミュニケーション文化は、わが家の現場に限っては、とても良かったと思います。
現場で怒号が飛び交いながらも、僕はこのおかげで色々勉強させてもらい、自分が間違ってたとか、自分が合ってたとか、そういうことを吸収しつつ、さらには職人さんたちと仲良くなれたのだと思います。
それは施主としては宝物のような体験でした。
さらにこのやり方は、新築工事の次に行われた古民家再生でも非常に有効でした。

前にも書きましたが、床をめくってみないと分からない、天井を抜いてみないと分からない、そういうリアルタイムアドベンチャーな工事と見積の中で、「施主がある程度のことは知っている」という状態がとても良かったように思います。
現場に一日立っているだけで、ジャッジがガンガン発生するわけです。
僕のように口を出しまくるのはアレですが、できれば現場に立って職人さんたちの意見を聞きながら勉強させてもらうと、最終的に「大体イメージ通り」という着地点にたどり着けるんじゃないでしょうか。
やっぱ完全に人任せだと、無事に着陸はするけれど、自分の思ってる着地点からずれてたりしますからね。

…というきれいな話で終わる前に一言。
このやり方で進めた工事の「請求額」という着地点だけは、盛大に踏み外したことだけ、お伝えしておきます。
現在わたくし、全治35年の重傷でございます。

おわり

pagetop