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離島の古民家に住む。

島根半島の北方約50kmにある隠岐諸島。そこに僕の先輩である溝口さん一家が暮らしています。
溝口さんたちは二年前に「親子島留学」の制度により、東京からこの離島へやって来ました。
住居として用意されたのは築117年の大きな古民家。
何もかもが真逆の生活が始まり、やがてあっという間に二年の月日が経ちました。
最初は戸惑ったものの、三人の子供たちは早々と生活に馴染み、今では島生活を満喫しています。
このたび「遊びにおいでよ~」とお声がかかったので、家族旅行も兼ねて一家を訪ねました。

家族写真

最初は「玄関だけで住める」と思った

一家が住むのは、隠岐諸島のうちの一つ、中ノ島にある「海士町(あまちょう)」という町です。
出発前、離島初心者の僕は必要な持ち物を確認しようと思い、溝口さんに電話しました。
「コンビニ? あるわけないじゃん」
「肉がほしい。肉は貴重だから」
「あ、コメも持ってきて」
分かりました、と答えながらスマホを持つ手が震えます。ひょっとして僕はとんでもない約束をしてしまったのではないか。果たしてうちの子供たちは生きて帰れるのだろうか…
食料を積み込み、島根まで高速を飛ばし、そしてフェリーに揺られること3時間弱。ようやく着いた海士町で目にしたものは、一面の荒野でもなく、秘境のジャングルでもなく、美しい大自然に囲まれた、どこか懐かしい匂いのする小さな街でした。

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港にはご主人の溝口さんが車で迎えに来てくれました。実は溝口さんは一人だけ東京に残って、時々島を訪れる逆単身赴任生活をしているのです。そこまでして「親子島留学」を決意したのは、長男の滉(こう)くんの「行ってみたい」という気持ちを尊重したからでした。

小学5年生の滉くんは東京生まれ東京育ち、正真正銘のシティボーイ。都区内のアパートから突然この巨大な古民家に移ってきて、どうだった? と訊いてみたら「玄関が広くて、部屋くらいあって、ここだけで住めると思った」とのこと。母親の玉枝さんも「最初は玄関から上がった三部屋だけしか使えなかったんだよね。なんか広いのが怖くて、同じところに固まってた」と笑います。それって室内動物が外に出された時のやつですやん!

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「おばあちゃんの家」という共通イメージ

「でもさ、今は慣れたよね。びっくりするけど」
「でしょ! 慣れますよね~」
「この横の部屋も、暗いから使わないって思ってたけど、今は全然普通に使ってるからね」
そう。人間は慣れるのです。
「玄関も最初は何これ!広い!って思って、ここでご飯とか食べれるじゃんって思ってたけど、まあ誰も食べないよね。笑」
でもその玄関から続く土間空間は、光と風の通り道になっていて、長女の鈴ちゃんが腰掛けて本を読んだりしています。溝口さんお手製ののれんがひらひら揺れる、この家の顔です。
この落ち着く感じは何だろう、よく「おばあちゃんの家みたいな懐かしい感じ」っていう表現がありますが、まさにそんな感じ。そのことを伝えると玉枝さんは「そうそう!」と頷きます。
「やっぱり人がこの家に住んできたっていう過程があるから、何か落ち着くとか、あったかいとか…たとえばここに遊びに来てくれた友達も、おばあちゃんの家がこんなのじゃないんだけど、『おばあちゃんの家みたい』って言って、昼寝しちゃうとか」
分かります。でもそれって不思議ですよねぇ。何でなんでしょう?
「日本人に共通する何か、DNAが持ってるイメージがあるのかなあ」
なるほど、そうかも知れない。
結局、居心地がよすぎて、初日はほぼ家の中で過ごしてしまいました。

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さて、居心地がよくなると、人はどうなるでしょうか。
居心地のよさについて喋っている僕たちのすぐ横で、ご主人の溝口さんがいびきをかいています。
そうです。古民家に住むとこんな感じになるのです。寝る場所はもちろん、寝る方角さえ適当なまま、ごろんと横になって寝てしまいます。それはやっぱり、各部屋の役割が「決まっていない」ことが大きな理由の一つだと思います。それもまた、居心地の良さにつながってるのではないでしょうか。
「今日は家の中を風が抜けて気持ちいい。でも、冬はすごい寒いよ。去年は雪もすごかった」
隠岐諸島は一見、瀬戸内海の島のような風貌をしていますが、そんな話を聞くとここが日本海エリアだということを思い出します。
「ていうか、すごいの。窓とか襖の隙間が。嘘みたいに。笑」
「借家ですからねー。持ち家だったら建具で調整できるんですけどね」
「畳だけは新しくしたんだけど、畳屋さんってすごいね、歪んだ家に合わせて畳作ってくれるんだよ。ぴったりはまってびっくりした」
どうやらこの離島にも職人さんが残っていらっしゃるようです。見たところ瓦も葺き替えられており、歪みはあるものの家のコンディションは良好。この家だけではなく、島のあちこちに建つ立派な古民家は、そんな職人さんたちのおかげで残っていっているのだという事実を改めて感じます。

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絵を描ける家、怒られない町

「あとお風呂の壁が汚かったから、白で塗ろうと思ったんだけど、せっかくだから何か描こうかって思って、島の中学校の美術の先生呼んで、子供たちみんなで描いて、楽しかったよ」
「めっちゃいいですよね、あの壁。古民家ってなんか、手を入れやすいというか、壁に描いたらダメっていう空気がないんですよね。だからそういう発想が出てくるんですよ。たぶん新築だったら絶対描けてないですよ」
そんな話をしながら、そういえば滉くんも「どこで騒いでも怒られないからいい」って言ってたな、と思いました。あれをしちゃダメ、これもダメという都会とは真逆の環境です。玉枝さんが「子育てには最高だよ」と仰る理由がよく分かります。
それが古民家の中だけでなく、外の世界、島全体がそんな空気に包まれているのです。
翌日は子供たちを連れて、近くの海に泳ぎに行きました。すると島の高校生たちが自転車でやってきて、素潜りでサザエを獲りはじめました。突堤の上に寝転がって昼寝をしている子もいます。島に住む彼らの青春の時間は、誰にも邪魔されないところで、静かに流れています。

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漁師さんは全員がIターン組

溝口さんに島に住む方々を紹介してもらって一番驚いたのが、Iターン組の多さでした。
会う人会う人Iターン。僕は名古屋からです、私は大阪からです、中にはドイツから移り住んだ方もいらっしゃって、そんな人々が集まるお祭りに参加させてもらいながら「ここどこやねん」とずっと心の中で呟いていました。
Iターンで漁師をされている方に「余所から来た人間が漁師なんてさせてもらえるんですか?」と訊いたところ、「大丈夫。島の漁師さん全員Iターンだから」という衝撃の答えが返ってきました。そんなことってあるんですかね? にわかには信じられません。でも、海士町のこの雰囲気の中にいると、思わず住み着いてしまいたくなる気持ちも分かります。
たとえば、ちょっと便利な土地だったらIターンは根付きにくいかもしれません。今の自分が暮らしている陸続きの土地ではなく、そこから物理的に完全に切り離された離島であるからこそ、今までの日常からも切り離されて、頭のチャンネルが変わるんでしょう。
生活で不便なこともたくさんあります。でも住んでみると、それがあまり気にならなくなる。そういう頭の切り替わりは、古民家暮らしとも似ている気がします。

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滞在中、滉くんに「将来どんな家に住みたい?」と訊いてみたところ、「沖縄の古い家とか住んでみたい」という返事が。「前に学校で習ったけど、めっちゃかっこよかった」と話す滉くんに思わず「わかる~!」と女子高生のような返しをしてしまったおっさんです。いや、君は若いのによく分かっておる。ちなみに「沖縄の家って玄関がないの知ってる?」とドヤ顔で訊いたら「知ってる」と言われました。すみません。
「島は春夏秋冬を感じられるのがいい」と滉くんは言います。それはきっと、エアコンも断熱も無いこの築117年の古民家で暮らしているおかげでもあるんだよと、クロニカ主催者はさりげなく古民家をアピールするのでした。

帰り際、「また来ます」と言ってから、本当にこの島へまた来ることがあるのだろうかと思いましたが、たぶん、また行きます。なんとなくそう思います。こういう時の僕の予感は外れません。
そうやって不思議と人が集まり、不便の向こう側にある居心地の良さに気づき、住み着いていく。
古民家暮らしの一つの理想形を、僕はそこに垣間見たのでした。

おわり

海士町親子島留学
https://ama-oyakoshimaryugaku.amebaownd.com
隠岐郡海士町オフィシャルサイト
http://www.town.ama.shimane.jp

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