古民家再生、古民家物件、リノベーション情報など。

株式会社松栄住宅

京都府新民家推進協会・会長 畑 信太

対応エリア京都府亀岡市、南丹市、京都市、京丹波町、綾部市、福知山市、舞鶴市、大阪府高槻市、能勢町、兵庫県丹波篠山市

京都府新民家推進協会の対応エリア京都府全域

探し続けた答え。

古民家アイコン

京都府亀岡市にある松栄住宅代表の畑さんは、古材を使った新民家という住宅を推進されています。その考えに至るまでには、左官の世界、不動産業界、ドームハウスなど様々な経験がありました。常に答えを探し続け、60歳を過ぎて新しい世界に飛び込んでいった畑さんの、多くの体験と思考の軌跡をここにご紹介します。

インタビュー

不動産業界に飛び込む

──
ここ、すごいですよね(※インタビューは畑さんご自宅の裏山にある東屋にて行われました)。ご自宅もドームハウスという実験作だし、この東屋も面白いことされてますね。
いろんな住まい方を探ってたんです。海外から輸入住宅がどんどん入ってきた時代に、僕はそれを見ていて、どこかが違うなあって思って。そもそも家の建て方ってどんなものが原点なのか? いろんなものが流行りましたけど、最終的にうちの親父たちが守ってきた日本古来の伝統構法に行き着いて。
──
ああ、そういう流れなんですか。
そう、その文化を消しちゃいかんと。でも古民家を新築することはできないでしょ。だから現代と伝統を組み合わせた「新民家(古材を活用した古民家のように再利用可能な住宅)」という話になるんです。
──
畑さんは新民家推進協会の所属なんですね。
そうです。今日はそのお話も含めてさせて頂こうかなと思っています。
──
畑さんは元々、どういうところからスタートされたんですか。
元々私の家は左官職人の家系でして。京都はお茶の世界が多いじゃないですか。なので数寄屋の茶室とか、そういった特別な聚楽壁や土蔵のしっくい壁なんかを塗っていたんです。
──
へぇー。
私も小学校の頃から、あとを継がないといけないという感じで、じいちゃんのところに預けられていたんです。学校から帰ってくると、遊びに行ったり宿題したりする前に、タルに入ったしっくいを練ったりさせられていまして。その時はそういうのが嫌で、別の方向に進んでいったんです。学校を出てからは不動産業界に入りました。最初は車の運転手として入ったんですけどね(笑)。
──
えっ、そうなんですか。
それが昭和47年。列島改造の直後ですね。すごい時代でした。私が一番若かったです。周りはおっさん連中ばかりで、ちょっと怖いような人も多くて、当時の不動産屋といえばまともな者がやってないという…
──
(笑)
TVドラマなんか見てたら悪いやつ全員不動産屋やからね。
──
(笑)
思い返せばめちゃくちゃな時代でしたね。昨日買ったものが次の日に倍で売れるような世界です。その頃は私だけが事務処理をしていて、それで色々勉強になりましたよ。そういう手口が分かるというか。
──
あー、逆に。
そういうことをされない方法も身につけましたから。

インタビュー

家をつくりたい

不動産業界には8年いたんですが、やっぱり、建築屋としての血が流れてたのかな。「家をつくりたい」って思ったんですよ。
──
そのきっかけって何かあったんですか?
不動産って、商品としてしか家を見ないじゃないですか。そこに違和感があって。昭和50年代の前半はバブルに向けて準備されてるような時代で、スクラップ&ビルドの流れも始まってたし、住宅ローンも生まれて、若い人たちが買うものになっていった。そんな流れで、家が大衆消費財という発想になりつつあったんですね。
──
なるほど。
分譲住宅も出始めていたんですが、これは自分がやりたいことじゃないなと。住み手がみんなどこか我慢してるんですよね。それが嫌で、昭和55年に独立したんです。
──
はー。
そこからバブル時代に入っていくんです。そうなるとどんどん家が売れて、メンバーが足りない、人もどんどん入れて、最大30人くらいのスタッフがいる会社になってしもたんですよ。
──
すごいなー。
いろんな関連会社をつくったりしてね。そうなると、今度は自分の目が届かなくなってくる。当時は「畑さんなら間違いないよ」って言って頂けることもよくあって、当初の5~6年は特に自分でもいい仕事をさせて頂いていたと思います。若い人たちも次々入ってきてくれて。それでも気付けば、不動産が軸になってしまったんです。
──
それはなんでですか?
不動産の方が動き出したんです。目が届かない間に、そっちが回っていくから。私は頑なに住宅づくりをやっていたんやけど、全体で見ればどうしても影が薄くなってくる。
──
へー。
それで、ちょっとまた違うなと思い直して。当時はプレハブ指向になりつつあったんですが、改めて「家の建て方」を調べていったんです。そうすると、いろんな建て方が過去にあったことが分かってきて、そんな中で「ドーム」というものに出会うんですけど。
──
なるほど。

インタビュー

日本初の木造ドームハウス

当時はログハウスにも興味を持ったんです。でも収縮率が激しすぎて、どうも日本の風土というか…昔から日本人が求めている精度に合わない。
──
ああ、精度に。
その頃、80年代には輸入住宅もどんどん多くなってきていて、リゾートも注目されるようになったんですが、実験的に一つのドームをうちの大きい工場に建ててみようと思って建てたんです。直径12mのものを。
──
すごいですね(笑)。
正三角形が6つあれば六角形ができるんです。サッカーボールあるじゃないですか。サッカーボールって五角形と六角形でできてるんです。五角形は同じ三角形5つでできるんです。てことは、二種類の三角形があれば、大きな空間が作れるんですよね。建築としてはバックミンスター・フラーという人が発明した「ジオデシック・ドーム」という構造なんですが。
──
ほおー。
昔の車で言うとスバルとかフォルクスワーゲンとか、球状になったものって強いんです。卵の殻って簡単に割れないじゃないですか。そういうものを用意して、その中に住めばどうだろうと。
──
いやー、面白いですねえ。なんか原始的な感覚ですよね。
当時、海外の輸入もの以外でドームハウスを日本でやってる人はほとんどいなかったんです。建築屋は誰もやらないんですよ。建築屋さんは縦・横・高さが曲がってしまう構造って考えないんです。しかもドームは屋根だけですから、壁もないんです。
──
そうか、地面まで覆うんですね。
当然、そんなものは建築基準法にない。そこにチャレンジしてみたかったんです(笑)。
──
すごいなあ(笑)。
結果的にその建物が話題になって、メディアに出たんです。木造のドームは日本初だったので。それで全国から問い合わせが来まして。
──
でもそういうのって、施工が難しいんじゃないですか。
僕は土木関係の学科を出てまして、土木って立体的な捉え方が大事なんです。測量でも山の起伏、形状をXYZを測るのに、あちこちのポイントを調べて立体的に捉えないと地形が出せない。そういった知識があったので、ドームの設計に求められるXYZがものすごく得意だったんです。
──
なるほどなー。
ただ今度は、それを建築確認申請を出そうとする時に設計士さんに頼むんですが、誰も確認取れないんです。こんなのややこしくてできんと。それで最終的に、自分で出すしかないので、建築士の資格を取ったんです。
──
へぇー。作品が先にあったんですね。
そうですね。あちこちから求められて、成り行きですけど、日本中あちこち回っていたんです。そうしているうちに木の強さのことを知り、木の良さを知ったんですけど、そこでまたちょっと引っかかるところが出てきまして。

インタビュー

何のために生まれてきたのか

日本の家は自然素材でできてる。木も生きて呼吸をしてる。でも、一般的な住宅はそれを密閉する工法になってしまってるやんかと。当時は断熱効果ばかり高めて、国も補助金出してくれたんですけど、断熱基準だけあって通気基準が無かったんですよ。
──
あー、通気か。
今はありますけど。断熱しても室内の通気をしないと結露を起こすんです。逆に昔の家は通気性がものすごく良かった。柱や土壁が剥き出しになっているから、濡れやすいけど乾きやすい。湿気た時は吸ってくれる。こういうのを見直していく必要があるんじゃないかと。そう考えていくと、今度は日本の古い家の良さがどんどん分かってきたんです。
──
ほー。
でも時代は合理化、高性能化で、大手住宅メーカーさんに絡んだ断熱性能とかが奨励されていって。なんか違うぞと。そういう時にバブルが弾けたんです。
──
はー、すごいなあ。そこで。
はっきり言って、どこまでも行けると思ってましたよ。社長が遊んでてもね(笑)。
──
そっかー。
そうなった時にね、営業マンが複数いると、彼らがやった仕事は目が届いてないから、あとから全部宿題として残ってくるんですよ。売買した不動産や家はその後もずっとお付き合いが続いていくから。でもそういう形が本来の姿で、日本はずっとそうやってきたと思うんです。その感覚を、時代と共に見失ってたんじゃないかというのがあって。
──
そうなんですね。僕はデザイナーとしての立場でいつも思いますけど、80年代のデザインって、歴史の流れに乗ってないんですよ。そこだけ浮いてるというか。今はまたリバイバルで80年代を知らない若い子たちに物珍しさで流行ってますけど、やっぱりあの時代は歴史や伝統を無視したところがあって、建築も80年代のものはちょっとキツい。
奇抜さ狙いのものが多かったですね。
──
でもその最中にあって、違和感を覚えるというのはすごいですね。
まあだからその時、目標を一瞬失いかけたんです。バブルが弾けてもおかげさまで誰もクビにすることなく、円満に整理ができたんですけど、ふと気付いたらその時にもう60歳を超えとったんですよ。今71なんですけど。
──
はい。
え、俺、このまま死んだら何のために生まれてきたんやろって思ったんですよ。
──
すごいですね。
俺、元々、どういう役割を持って生まれてきたんかなって、そんなことを思い始めるわけや。年喰ってくると。俺が生まれてきた意味ってあるんかなって。
──
おおー。
それで悩んで考えた時に、まず、家づくりは捨てられへん。それはおじいさんたちの血だと思うんですけど、常に自分の中心にあったものやし。
──
はいはいはい。
そこを掘り下げてみると、単に仕事を引き継ぐということだけじゃなくて、日本の文化、1000年続く崇高な精神みたいなものが、そこにあったような気がしたんです。それを守ってきたという代々の意志が。それをみんな継承してきたんかな、てなことを思ったんです。
──
へぇー。
で、俺、それをやらなアカンのとちゃうかなって。
──
いやあ、あの、60歳でそっちに舵を切れるってすごくないですか。だって60代って普通はもうゴールインというか、よっしゃ人生なんとか乗り切ったぞという(笑)。
普通そこで迷わへんかもね(笑)。まあ60までは借金の返済とか整理とか、会社のことで頭がいっぱいやったから、そうしてくたびれたままリタイアしたくなかった。何か人の役に立って、自分の実感を得てから死にたいなと。
──
なるほど。

インタビュー

京町家の改修

なんかそう思った時に、子供の頃にじいちゃんに左官を手伝わされてたこととか、じいちゃんの膝の上に座って浪花節を聴いてたこととかがふと甦ってきて。
──
すごいなー。
やっぱり、これかなって。それで古民家の方に行くことになって、古民家再生協会に参加することになるんやけど、古民家は法律で昭和25年にブツッと切られとるんです。じゃあどうするねんというところで、「新民家」が出てくるんです。
──
はい。
古民家は確かに素晴らしいけど、限界もあるんです。基準法とのぶつかりもあるし。それに自分が一番力になってあげたい人は、あんまりお金を持ってない人なんです。そういう人に対して、補助金とかいろんな制度を使ってもらおうとすると、今の現行法に則ってないと駄目なんです。
──
そうなんですよねぇ。
そうすると、伝統構法でも在来で直さなんとあかんやん。それはおかしいなと、ずっと思ってやってきたんですよ。京都の町屋改修も長いことやってたんですけど。アレックス(※東洋文化研究者アレックス・カー。古民家再生の第一人者)と組んで町屋を7年以上やってたんかな。
──
あ、アレックスさんとその頃にお知り合いになったんですか。
いや、もっと前、30年前ですよ。
──
あ、そうなんですか。
彼も素晴らしい人やから、京都の町屋を改装してゲストハウスにしたり、再生の仕事をやってたんですけど、「日本の良さ」っていうのをむちゃくちゃ訴えてくるんですよ、あいつ(笑)。
──
(笑)
日本の文化、日本の建物……日本人は自分の国の良さを分かってない!って。
──
ああー。
そんなことをしょっちゅう聞いてたら、日本の文化と建築をね、なんで外人のあんたに言われなあかんねんって、思ってくるじゃないですか(笑)。
──
(笑)
彼は同じ京町家でも、構造よりも美的感覚やデザイン性を重視するんですけど、建築屋の僕らにしたら感覚が違ってた。でも、ものすごく受けたんです。そういうことを目の当たりにして、自分でも何かできないかと思っていたんですが、地元の亀岡に戻ると、それを活かす場がないんですよ。亀岡は町屋もそんなに無いし。
──
ここに来る時にちょっと車で回ってみたんですけど、無いですよね。
残ってても、改修の時にむちゃくちゃしてしまうんですよ。格子をアルミに変えたり、タイル貼ったり。中途半端なんです。一方で、京都の町屋は美しい。その文化を地元にどうにか持って帰れないかなと考えた結果、新民家という選択肢を選んだという感じです。
──
なるほど。

インタビュー

「新民家」という選択肢

新民家は今から家を建てて新しく住みたい人にも、伝統構法の良さを分かってもらえて、かつ適法で、現代の技術と過去の技術のいいところを組み込むことができるんですよ。思いも継げますし。
──
「新民家」って聞き慣れない単語だと思うんですが、どういうものなのかちょっとクロニカの読者さんにご説明してもらえますか。
基準ですけど、古材を含む国産の自然材を60%以上使うこと。できれば手刻みで建てることと、真壁で塗り壁にすること。そういう家を「新民家」と呼んでいます。国産の材はもう全然違うんですよ。気候風土に合ってるから強いんです。外国の材や集成材は強いのは強いんですが、ただ、保たない。湿度の問題で。
──
やっぱりそうなんですか。
向こうは23~24%くらいでしょ。湿度が。日本は70%超えてますから。向こうの木をバケツの水に浸けてるのと同じですよ。
──
あー、なるほど。
乾燥のさせ方も違うし…まあそんな話すると山ほどあって終わらないんやけど(笑)。まああとは、基礎もできれば石場建てにしたいところです。
──
でもそれって難しいんですよね。
そう、だから石場建てに近い「コラムベース工法」というのがあって、地中で梁を組んで、束のような独立基礎が立ち上がりだけ顔を出してるというような。
──
へぇー。
束は転びませんけど、床下環境は似てる状態になるんですよ。
──
なるほど。
僕としては、それがいいかなと思ってるんやけど、実際は在来の布基礎やベタ基礎ですね。あとは仕口はできるだけ金物に頼りたくない。それが認定されるかどうか分からないですけど、可能な範囲で伝統構法でやりたいなと思ってます。
──
せっかくの新民家ですもんね。

インタビュー

繋げていって欲しい

僕らの世代って、田舎なんかは特にもう、減築なんですよ。人口も減ってるし。田舎の大きな家をね、あんなでっかい家はもう誰も住まないと。そんなふうに田舎の建て替え需要はこれから増えてくるかなと思うんやけど、改修では減築にならない。
──
そうですね。一度解体しないと…
だからもうその場で、同じ材を使って、小さく建て替える。これをやれば、古民家と今の家の両方を活かせられると思ってます。
──
僕、古民家は好きなんですけど、そもそも「日本の街並みを恥ずかしくないものにしたい」というのが根っこにあるんです。だから新築反対とかじゃなくて、ちゃんとした新築を建てて欲しい。そういうことで言えば、ちゃんとした材を使って、入母屋じゃなくてもいいと思うんです。入母屋じゃなくても、ちゃんとした材で、ちゃんと建てられていれば、日本の風景に合うはずなんですよね。
そうそう。そうですよ。僕の代で難しいかも知れないけど、次の代がそれをスタンダードにしていってくれればと思います。繋げて欲しいんですよ。
──
それは僕らの仕事ですね。
最近もうほんまに振り回されてるんですよ。国交省なんかも、断熱を強化しましょう、その次は気密性を高めましょうと。でもそんなことしたら室内の空気が汚れるじゃないですか。
──
はい。
ペアガラスにして、密閉して、開口が少ないと空気が濁る。じゃあ今度は、24時間換気しろと。それってものすごく矛盾してるんですよ。省エネって言いながら24時間換気ってどういうことやねんと。
──
確かに。
機械に頼らないと成り立たない暮らしはおかしいやんかと。僕が独立した時は、分譲が嫌で「注文建築しかしない」と決めたんやけど、その時に竹下地を編んだ土壁しかやらないと決めてたんですよ。
──
それはすごいですね。
数十軒はそれでさせて頂いたんやけど、その時に、通気工法として、床下から根太の部分に通気パッキンつくって、外壁の間に空気を通したんです。荒壁とラス地の間を。それで天井裏からもっぺん入れて、また二階の根太を通して…そういうことをやってたんです。
──
へぇー。
バブル期に入って荒壁が一般的でなくなったから、その工法はしなくなりましたけど、うまく工夫すればやりようがある。古民家の問題は、暗い、寒い、使い勝手が悪いと言われてますが、工夫によって解決できるし、新民家として建てれば、素晴らしいものができるんじゃないかなと思ってます。
──
年代差もありますよね。僕なんかある程度は寒いのを味わうとか、面白がるとか、うちのチビも身体が丈夫になってええわ、とか思うんですけど、それが70歳くらいになってくると「いや、もうそういうのはええから…」みたいになってくるんじゃないですか(笑)。
(笑)
──
僕も今の古民家に、年寄りになっても住むかというと、たぶんそのままでは住まんよねって。直すのか、移るのか知らんけど、今のままじゃないよなと思うんです。
今の人たちは古民家をどう思ってるんかな。
──
たぶん最初は見た目ですよね。格子戸がオシャレとか。でも実際に住むと、自然素材の良さに気付くと思います。僕もそうですけど、今の世代は新建材に囲まれて育って、自然素材を体験として知らない人たちがかなり多いですから。
新建材もね、部材としては良いかも知れんけど、住まい方まで考えてないと思う。利便性、合理性は追求されてるけど、それを使ってどう住めばいいかっていう部分は弱いですよね。
──
今は医療の世界がQOL(Quality of Life)って言い始めてますよね。
うん、それはいい方向やと思う。そういう感覚が広がってきた今の世の流れを見てると、僕が目指しているものも、次に繋いでいけるなって思います。

おわり

施工例







京都府新民家推進協会プロモーション映像

京都府新民家推進協会
http://kyoto.shinminka.org/

株式会社松栄住宅

※直接お問い合わせの際は「クロニカを見た」とお伝え頂くと
何かしら良いことがある気がします。

代表取締役 畑 信太
創立 昭和59年年9月23日
資本金 1000万円
住所 〒621-0847 京都府亀岡市南つつじケ丘桜台2丁目1-17
TEL. 0771-24-3638
FAX. 0771-24-6932
建築業許可 京都府知事(般-23)第18845号
公式サイト https://shoei-jyutaku.co.jp/

株式会社松栄住宅 /
京都府新民家推進協会への
お問い合わせはこちら

古民家を直したい方、状態を調査したい方は
このフォームからご連絡ください。

お名前
ご住所(任意)
メール
電話
内容

※情報はSSLによって暗号化され、安全に通信されます。

pagetop