古民家再生、古民家物件、リノベーション情報など。

トータルアシストプラン株式会社

全国古民家再生協会三重第一支部・支部長 堤 久夫

対応エリア三重県四日市市、桑名市、いなべ市、鈴鹿市、亀山市、その他三重県全域

三重第一支部の対応エリア三重県全域

数寄屋建築に導かれて。

古民家アイコン

三重県四日市市にあるトータルアシストプラン株式会社が得意とするのは数寄屋造り。勉強嫌いの子供だったという代表の堤さんは、まるで大きな力で呼び寄せられたかのように、自然と数寄屋へ繋がる道のりを歩んできました。幼少体験からモダニズムのデザインまで幅広いお話の中、その芯に根ざすのは技術職としての矜恃です。

インタビュー

自分の家を設計できる設計士

──
堤さんは一級建築士ということで、主に設計を担当されているんですか。
立場としては設計なんですけど、営業の代わりになって、施主さんと職人さんをつなぐ役割もしています。日頃から自分の割ける時間で、どこに重きを置くかっていうことを考えてるんですけど、時間があれば設計をしたいんですが、宣伝もしないと見つけてもらえないし。
──
情報発信は大事ですよね。
あともう一つは、技術者や大工さんとか設計やりたいと思っている人にも発信して、後継者を育てたいんですよ。建築学科を出てるのに、なんで自分の家をちゃんと設計でけへん人ばっかりなのかと。せっかく専門の勉強をしてるのに、たとえば自分の親が建て替えるから設計してくれって頼まれた時に、いい学校を出てる人間ほど、組織の中の仕事しかしてないので、自分の実家を設計できないんですよ。
──
へぇー。そういうもんなんですか。
できても大手ハウスメーカーの仕様だったり。
──
そうか。すごいなー。
そんなんおかしいやんってすごく思ってて。私も建築科出てますけど、絶対に自分の家は基礎から何から自分で全部把握した上で設計して、自分の分かってる範囲でちゃんと設計できる設計士になりたいと。
──
なるほど。
大きいものを扱うと部品の設計屋になってしまうので、自分は木造の家をしっかり作れる技術屋になりたいと思っていたんですけど、でもそうやって建築科を出てるのに自分の家のリフォームすらできない連中がわんさかいて。
──
はい。
でもそういう人たちだって、学校に通ってた時には、絶対に自分の家くらいは設計できると思ってやってたはずなんですよね。
──
(笑)いやでも、それって施主側にそんな発想なんか全然ないですよね。建築科出た人は何でも作れるって思いますよ。僕ちょうど昨日そういう話を読んだんですけど、日本の優秀な学生って、大きい企業に入ると。でもアメリカなんかは優秀であればあるほど独立して自分でやろうとすると。
そうですね。僕はそのことを訴え続けてるんですけど、本人が気付いても親に「大きい会社にしとけ」って言われたり。
──
(笑)
インタビュー

設計事務所と工務店

──
これもちょうど先日工務店さんや設計事務所さんと話したんですけど、一般の人たちは工務店と設計事務所の違いが分からんと。で、結局何がどう違うんですかって聞いても、みんな言うことバラバラなんですよ。
そこは結構語れますよ(笑)。
──
まじっすか。ぜひ(笑)。
自分のさじ加減というか、自分の理論で引いた線ですけど。
──
僕の理解では、設計をやって現場管理はしない、というのが設計事務所さんかなと。現場から離れているというか。
そうですね。
──
あ、そうなんですか。やっぱり。
設計というのは、現場で手を汚さんでいいし、デザインのところだけやってクリエイティブに仕事できるかなって、みんな思ってるんです。
──
はいはい。
今から20~30年前、景気のいい時は、そんな部分的な仕事だけで食っていける需要があったんで、設計事務所というのが成り立った。
──
今って違うんですか?
今はもうそんな設計だけでは仕事がないので…
──
え、そうなんですか。
超一流の、隈研吾さんとか、あの辺のレベルの人だけですよ。設計だけで食っていけるのは。
──
そうなんやー。
反対に、工務店で、自分みたいに現場も見ながら設計もできる、という人の方が現実的ですね。それに現場をいっぱいやると、デザインってバランスなんで、才能じゃないところでものにできる。
──
ほー。
現場の場数を踏むと、ただ設計だけやってる人より、かっこいい家を設計できるようになるんです。
──
そうなんですか。
私は設計事務所からスタートして、設計だけでは食っていけないと思ったんです。じゃあどうやったらお客さんが、一人でやってる自分に何千万円のお金を託してくれるようになるかと思ったら、きっちり設計して欲しい、そしてきっちり作って欲しい、という要望が一番大事だと思ったんです。
──
はい。
設計した人が最後まできっちり面倒見て最後まで作ってくれる、そういう人なら自分も家を託したいなと思ったんですね。だからそういう人になろうと。
──
ああー。
それで今から18年前に脱サラをして始めたんです。
──
そうなんですね。てことは現場にも行かれるし…
そうです。設計事務所の資格もあるし、建設業の資格もあります。実態は工務店ということになりますね。
──
社名が「トータルアシストプラン」なので、設計事務所さんなんか工務店さんなんかどっちやろって最初思いました。
よく言われますけど、社名はそういう意味で、企画から引き渡し後のメンテナンスまでやりますということです。
──
なるほど。
設計も、自分の主張ではなく、お客さんの主張にアシストしますよっていう意味ですね。
──
すごくよく分かりました。でも実際「工務店」っていうくくりにもすごい幅がありますよね(笑)。
ありますあります。関西の方は特に「工務店」っていうと地元ゼネコンみたいな雰囲気がありますね。
──
そうですね。一方で僕の周りでは「設計士」はえらい先生だ、みたいな感じでみんな思ってます。
住宅だとその境目が曖昧ですね。建物が大きくなれば分業になりますから。
──
あ、確かに。
インタビュー

数寄屋には「型」がある

──
あの、さっきの現場のお話にも少し出てきましたが、デザインのお話をさせて頂きたいんですけど。堤さんは数寄屋の設計をされてるんですよね。
私はたまたま菊池建設っていう関東の方にある和風住宅メーカーの設計部に就職したんです。
──
はい。
私が入った当時、関東で年間600棟くらいやってるところで、和風の住宅をやってたんですが、和風も極めていくと社寺建築と数寄屋建築ってなるんです。
──
ほおー。分かれるんですね。
まあ同じ和風なんで、社寺の庫裏(くり)とかゲストハウスが数寄屋で作られていたりしますけどね。
──
へー。
で、その会社は住宅を一番建てていたので、住宅になると優しい雰囲気のものが多くなるので数寄屋造りになるんです。数寄屋造りの元祖は桂離宮とかになってくるんですけど、デザインとしては、薄く細く作る。その究極の形が茶室ですね。
──
なるほど。
それを勉強してる人ってたくさんいらっしゃるんですけど、みんな単発で本を出してるんです。それを全部つなげたら勉強もすごく楽になるんですけど、とにかく種類が多くて。
──
あー。
そこにはそれぞれの和風設計のバランスがあるわけですが、昔は木を切るのが一番大変だったので、六尺とか、八尺天井とか、そういう規格はみんな木材の寸法に合わせてるんですね。古民家なんかまさにそうで、みんなほぼ六尺。古民家の建具も大体六尺前後ですけど、あれは製材から生まれたモジュールなんです。
──
そうなんですね。
その中でデザインとバランスを追求していくと、大体この組み合わせでいけばかっこよく見えるとか、そういうのがあるんですよ。生花の流派のように「型」があるんです。その「型」を組み合わせる作業をデザインと言うのであれば、センスはなくてもかっこよくまとめられるんです。
──
組み合わせっていうのは、ルールがあるわけですか。
ルールというか、その人の好みですけど。あとは木造の技術を知っていればできます。私は木造の現場をいっぱいやらせてもらったんで、知らず知らず身についていたんだと思います。
──
へぇー。
それこそ大原さんじゃないですけど、この自分の知識と技術が欲しい人はいっぱいいるやろなっていうのもあって。
──
ほんとそうですよ。数寄屋については、僕は素人だったので、自分の家の好みっていうのがビジュアルでしか分からなかったんですよ。この建物はなんか好き、と思っても、具体的にどこが好きなのか分からない。古民家は古民家なんですけど、今思えば僕は数寄屋造りが好きだったんです。でも分からないまま古民家を買って、ところがそれは数寄屋とはかけ離れた南大阪の田舎のずんぐりむっくりのシコロ建ての家だったんですね。で、買ってからも「何か違うな…」ってずっと思ってて(笑)。
ああ。
──
何が違うんやろ、何が違うんやろ、って思って各地の名建築、自分が好きな建物を見て回って、こっそりスケール持っていって全部測ったんですよ。柱とか、廻り縁とか。そしたら、なんかうち、太いなと(笑)。
(笑)それに気がついたのはすごい。
──
ほんで調べたら、そうか! これは違うんや! ってなって。そこから職人さんに、屋根屋さんに「できるだけシュッとさせてくれ」って頼んだり、建具も桟の細いものに入れ替えたりして、もうそこは苦労しました。
始めに私に出会っていれば…
──
いやもう、ほんとそうです(笑)。
私の得意分野ですからね(笑)。
──
だからまず「数寄屋」ってこんなんですよ、という情報だけでも、僕らみたいな人たちには需要があると思いますね。
インタビュー

貴族文化とモダニズム

──
堤さんのサイトで「書院造り」について「薄く細く質素に」と書かれていますが、具体的に、数寄屋と僕のような田舎の家って、何がどう違うんでしょうか。
私の理解で説明すると、書院造りというのは、日光東照宮じゃないですけど、ああいうイメージのきちっとした作り方の延長線上にあるんです。
──
ほー。
どういうことかというと、貴族社会から武家社会になって、武士は権力を示さないといけないので、しっかり瓦を乗せてゴツくアピールしてくるんですけど、数寄屋っていうのは、そういう武士に追いやられた貴族たちがつくった文化なんですね。
──
へぇー。
貴族の人たちにはルーツがあって、やっぱりすごく素質もあって感性が洗練されてるんですよ。なので繊細なバランス感覚も良くて、武士達だったら枕木に使うような木を組み合わせて美しく作り上げることができたんです。それが数寄屋の原型だと。
──
ああ。
千利休も同じで、やっぱり秀吉的な美意識に反発して、すごくいい材料を使えば誰でも立派なものは作れるんですけど、そうじゃないよ、センスというものが大事なんだよということで、木の皮とか、質素な材を使ってセンスでまとめてデザインしたものが数寄屋なんです。
──
なるほどー。
なので桂離宮とかああいうのは、武家社会になった後で貴族が作り上げた洗練されたもので、なおかつ武士が見れば「質素に暮らしてるな」という(笑)。
──
あ、そういうことか!
おまえらにこのセンス分からんやろっていう。私の見解はそうです。
──
いや、面白いですねそれ。
そこに貴族のプライドみたいなものを感じますね。そういう文化が本格的に認められたのが、戦後ドイツやアメリカなんかのセンスのある人が「なんて素晴らしいんだ」と評した時です。
──
再発見されたんですね。
そうですね。
──
数寄屋のデザインって近代西洋に通じるものがありますよね。使ってる建材は全然違うんですけど、モダニズムから今のシンプルモダン、ミニマリズムの先祖というか。
やっぱり西洋画でも日本画でも、認められるのは同じ価値であって、人間の感じる美であったり、そういう感覚は似ていたりすると思うんです。
──
おもしろいですよね。
でも始めに言ったように、それを住宅として作り続けていかなきゃいけないってなった時に、才能よりも技術で、組み合わせで作っていけるように規格が生まれたんだと思いますね。
──
なるほど。
古民家にはそういった技術の繋がりと、もう一方で地域ならではの特色のある材料とが混ざっている。その組み合わせの中からいいものだけを選び取ってきているので、そこに触れると、気に入ってしまうようになっているんだと思います。大原さんもそういう部分にどこかで触れられて、この道に入ってしまったんじゃないですか(笑)。
──
(笑)あー、でもそうです、確かにそうですよ。僕、もともと家は何でも好きだったんです。モダニズムの巨匠、いわゆるコルビュジエとかミースとかあの辺も好きですし、旅行に行けば見学できる旧家を探しますし。それってなんで好きなのかは分からないですけど、でもどこかを見てるんでしょうね。人間の共通の美みたいなものを。
そう、見てるんですよ。モダニズム系の人たちはみんな同じところを見て、繋がってると思いますよ。
──
桂離宮見てますかね。
見てますよ。例えば、日本でも多くの作品を残した巨匠建築家のアントニン・レーモンドも、伊勢神宮の丸太の組みを見て感動して、三重大のレーモンドホールを丸太で作ったんですよ。
──
へぇー。
でもその後京都に行って、「やっぱり太かった」と思って、
──
(笑)
自分の別荘はもっと細い材で作った(笑)。
──
あははは(笑)
まず木造の丸太で感動したんです。その後、デザインに気付いたんです。京都に行くと数寄屋があるから。
──
僕まさにそのパターンですね。古民家やー言うて喜んで買って、その後で「…なんか太ない?」って。
そこに貴族のほくそ笑みがあるわけですよ(笑)。
──
いやー、でも気付いた時には衝撃でした。自分がいいなと思ってた家の材が全部細かったっていうのは。
その辺を住宅で広めたのが吉田五十八っていう人なんです。その人が現代数寄屋の教祖です。
──
そういうの興味あります。調べてみます。
インタビュー

三重県の古民家

──
今の僕ら世代って、古民家好きって言いますけど、イメージとしては茅葺きで囲炉裏があって…という感じじゃなくて、絶対に数寄屋だと思うんですよ。どこかに細い線が入ってて、格子も江戸調の蔵戸みたいなのじゃなくて繊細な木組の格子細工だと思うんです。そういう感覚を理解して共有してくれる人がまず、設計事務所さんにしろ工務店さんにしろなかなかいらっしゃらないですよね。
意外と少ないですよね。なので、私たちのことを知ってもらえたらと思うんですが。
──
いや、ほんまそうですよ。そこ、すごいアピールしたいですよ(笑)。
事務所はそんな雰囲気で作ってあるんです。町屋の細長い感じで。
──
それ喜ぶ人いっぱいいますよ。
三重県に来ると、そういう仕事をやってくれる技術者は数寄屋大工さんも宮大工さんも一緒なんです。でもそういう人たちも仕事がなくて苦労されてます。
──
三重県って、職人さんが多そうですね。
多いですよ。だからその人たちにも陽の目を浴びて欲しいというのと、そういう職人になりたいと思ってるのに、現実的じゃないなと諦めてしまう若い人たちを助けてあげたいと思います。
──
あー。そうですね。
そうやって背中を見せてたら、うちの次女がね、大工になりました。
──
えーっ。すごいですね!
今修行して3年目です。なんで設計士ちゃうんやと思うけど(笑)。
──
(笑)そういえばスタッフさんも古民家に住んでらっしゃる方がいるんですよね。
はい。今は育休中で、いろいろリフォームしながら住んでますね。ちなみに私自身も古民家を昨年末に購入しました。
──
そうなんですか!
それを直すんですが、外観は趣を持たせて、中身は若い方向け、海外の人たちが欲しがるようなテイストにまとめ上げたいなと思ってます。その上で、周りの村の人たちからも素敵な家だと思って頂けるような外観にして、わずかでもその村の古民家を残していこうかなと。
──
僕も理想はそうですね。外観はとにかく村に馴染むようにしたかった。で、ガラガラって開けた瞬間に異世界みたいな感じなんですけど(笑)、街並みが駄目だと家って映えないですよね。
そうなんです。家は周りと一つなので。
──
極端な話、中は何やってくれてもええから、表だけはちゃんとしてくれって思うんですよ。
それには考える人、プロデュースしてあげる人が必要ですね。
──
なんでそこって一回切れたんですかね。
ハウスメーカーとかじゃないですかね。
──
やっぱりそうなんですか。
しょうがないです。優秀な人材ごと持っていきますから。
──
あー、そうかー。最初に仰っていた話ですよね。
私みたいにちょっと変わってて、つまらんって言って脱サラしてしまうような人間ってそんないないじゃないですか(笑)。
──
(笑)確かにそうですよね。
インタビュー

五人家族で十五坪

──
「五人家族で十五坪」というお話がサイトにありましたが、その辺ちょっとお聞かせください。
私の育った環境ですね。えっと、三十坪くらいの敷地に、前に伯父の家があって、裏に十四~十五坪くらいの借家みたいな家があったんです。親父とその伯父が二人兄弟なんですが、親父が所帯を持つことになったんです。
──
はい。
それで親父が裏の借家に移って、私のお袋を迎えたと。その家は二部屋しかなくて、私たち三人兄妹と合わせて五人家族がそこに暮らしました。私が小学校の時に六畳のプレハブを建てて三部屋になったんですけど。まあ昔ではそんな珍しくない形だったと思います。
──
なかなかの環境ですね。
戦争で燃える前はいっぱい借家を持ってて大地主だったらしいんですけど、借家だけの地主だったので、戦争で燃えたらもう何も残らなかった。
──
ああー。
祖父母も、私の親父が10歳の時に病気で亡くなってるので、ひいおばあさんの女手一つで育てられたという感じです。よくある戦後の家庭ですね。まあ持ち家があるだけ良かったんですけど、そういう環境で育ちました。
──
なるほど。
私たち子供は物心ついた時にプレハブを与えられて、一人は親の部屋で寝起きして、二人はプレハブの二段ベッド。それで二段ベッドで思春期を迎えるわけですけど…
──
(笑)
やっぱり自分の部屋が欲しいと(笑)。そう思ったのが中学校の時です。ちなみに小学生の頃はコックだった伯父を見て料理人になろうと思ってたんですけど。
──
えっ、そうなんですか。
私は勉強が大っ嫌いで、進学校へ行けという先生の指令はあったんですけど、勉強が大っ嫌いで…
──
二回言いましたね(笑)。
(笑)当時の進路は、男は工業、女は商業、みたいな道があって、そこで商業に思い切って行っておけばコックになってたんですけど、流れに流されて工業高校に行ってしまったんです。
──
へー。
それで何科にしようと思った時に、流れでいくと一番人気の機械科だったんですけど、あるバスケット部の友達が、機械科に行くと高校出ても流れ作業やぞ、と。四日市なんで工場がいっぱいあるんですよ。
──
ああ、なるほど。
で、じゃあお前は何科に行くんやと聞いたら「俺は建築科に行く」と。そっちは流れ作業に行かんでええからと。
──
ははは(笑)
それでまた流されて、建築科に行ったんです。そしたらハマって。自分の部屋を持つためにはこの道に行けばいいんやと。
──
面白いですねー。
ところが実習でノコギリ切ってたらまっすぐ切れないんですよ。継ぎ手の実習もあったんですけど、隙間が2cm空いて(笑)。
──
(笑)
もうそれで大工は無理やと思って、設計に行ったんです。その時、ちょうど大阪に丹下健三、黒川紀章といった人たちが出てきて、よし、じゃあ俺の敵は黒川紀章やと…
──
あるある(笑)。
まあとにかく、設計屋になれば最低限、自分の部屋は持てるし。
──
根っこはそこなんですね(笑)。
それでまあ最初の話に戻るんですけど、「自分の家は自分で建てる、設計しきる」というところに繋がるんです。
──
そういうことかー。
インタビュー

導かれた出会い

ところが学校で学んでいくと、パパッとセンス良くデッサンできるやつが周りに現れるわけです。そういう人には勝てないので、自分は堅実な手法を極めよう、自分で一から十までできる設計士になろうと思いまして、で、そうやっていると勉強大嫌いだったんですが建築の勉強は苦にならず、ハマったんです。
──
向いてたんですね。
それでそのまま試験なしで建築系の大学に行けるようになって、そこへ行くとまた自分より器用で才能のあるやつらが出てくるんですね。それでまたやっぱり、自分は堅実に行こうと、とにかく自分の家をしっかり建てられるようになろうと。それで就職先に選んだのが和風木造住宅の会社だったんです。
──
はー。
そこには11年勤めたんですが、その時の家の事情などがあって、辞めて帰ろうという決断をして、帰って地元で5年勤めてから独立しました。それが18年前ですね。
──
数寄屋はどの段階で学ばれたんですか?
それは一番最初の会社です。
──
あ、じゃあもうかなり早い段階からですね。
たまたま和風専門で、数寄屋数寄屋という感じだったんです。そこにたまたま大学の先輩で数寄屋大好きな先輩がいて、その人と配属先が一緒になって。吉田五十八の話とか、桂離宮の話とかは、学校じゃなくてその先輩から教わりましたね。
──
なんか、流されているように見えて、そこに導かれてる感じですよね。
そうなんですかね(笑)。
──
勉強嫌いやって言ってたのに。絶対そうですよ。
数寄屋をやっていると、数寄屋の家を建てる人って、奥さんがお茶をやっていたりするんですよ。それで茶席ってどんなんやろとか、炉を切る和室とかを仕事として覚えるようになって、独立してから自分でもお茶を習い出して、茶名も頂きました。
──
えっ、そうなんですか。すごいな!
私は継続だけが得意なので(笑)。

インタビュー

──
そんなお茶の先生やってる人が茶室を設計したら、もう誰も文句言われへんですよね。
やっぱり設計だけやってた時と、お茶を習い始めてからの設計では、もう180度違いますね。
──
そんな違いますか。うわー面白いなー。
だからやっぱり現場というか、実際のものを経験しておくのは大事だと思います。
──
いやー、面白いお話でした。ありがとうございました。

おわり

施工例







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所在地 〒510-8016 三重県四日市市富州原町10-6
電話 059-361-1616
FAX 059-361-1717
資本金 2000万円
役員 代表取締役 堤 久夫
取締役 舘 誉之
登録番号 一級建築士事務所 三重県知事登録第1-1648号
建設業許可 三重県知事登録(般29)-21344号
事業内容 木造住宅の企画・設計・施工管理
従業員数 6名(うち女性 3名、平成31年3月現在)
主な資格保持 一級建築士・二級建築士・ファイナンシャルプランナー(AFP)等
公式サイト https://tap-s.com/

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