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高気密高断熱の住宅は最高なのか?

先日、気密に関する話をインスタの方に上げたら結構な反響を頂きまして。
僕はこのブログで何度も書いている通り、窓を完全に閉め切っているのにも関わらずなぜか長男の前髪がふわっと揺れたり、窓を完全に閉め切っているにもかかわらずなぜか大型のカマキリが目の前を散歩しているような古民家に住んでいます。
隙間を無くそうと思えば無くせるんだけど、なんかあんまりそんな気になれなくて、わりとそのままなんですね。
というのも僕は気密性が高くて空気が止まってる家がすごい苦手なんです。
ホテルに泊まっても真っ先に窓が開くか確認するんです。新築の友達の家に泊まっても夜中に息苦しくなって窓を開けちゃうんです。
つまり古民家の「自然換気」「自然対流」に身体が慣れてしまってるんですよね。
なので僕は、家に虫が入っても、冬が多少寒くても、やっぱり低気密の方が心地いいし落ち着くんです、って書いたらいろんな方々から共感を頂きまして、僕も逆にこの感覚が自分だけじゃなかったことにたいへんびっくりしました。

なので今回はそこからもうちょっと話を進めて、高気密・高断熱的でエコな世界を指向する「合理主義」と古民家について話していきたいと思います。

古民家を語る時によく対比として挙がるのが「新築の家」。
最初に言っときますが僕は何も古民家が最&高で新築が最&低だという話をしたいのではありません。
実際このブログは僕の建てた高気密高断熱の新築ハウスの2Fで書かれています。
もちろん新築も最&高です。
でも古民家に比べると良くない部分もあります。
というか、古民家の最&高な部分が、なぜか世間では最&低な側面として捉えられているのです。
そのうちの一つがさっき言った気密性。
僕は低気密ステキやんと思いますけどどうも世の中はそうではない。
高気密高断熱だとエアコンがよく効いて夏は涼しく冬は暖かく光熱費が抑えられて快適で過ごしやすいので全人類は高気密高断熱の住宅に住むべきだし住んでないやつは情弱でアホでかわいそう、みたいな論調をよく見かけます。
しかしちょっと待って欲しい。
本当にそうか? と。
君らちょっと合理主義に毒されすぎてませんか? と。

海の向こうからやってきた「合理主義」という哲学はあっという間に戦後の日本を席巻しました。
今や日本ではあらゆるところで物事の合理化が図られ、世の中が便利になり、お金が節約され、時間が浮きます。
合理主義というのは、自分の感覚や経験ではなく、理屈を信じる世界です。
人の感情や感覚を切り捨て、目に見えるものの損得勘定だけを信用するという哲学です。
簡単にいうとマクドナルドのモバイルオーダーとか、ETC無人化とか、Amazonの買い物フローとか、そういうやつですね。
どれも超便利な仕組みです。
超ラクラクで、超時間がかからず、超無駄がない。
だから合理主義は最&高である!! と。
しかしちょっと待って欲しい。(2回目)
その哲学って、家に当てはめてもいいんですかね?

合理主義でいけばお金がセーブできるし時間も短縮できておトク!
しかしその考え方は決して万全なものではありません。
その考え方でうまくいくレベルのところと、いかないレベルのところがあるんですよね。
たとえば初デートで相手の希望で遊園地に行ったとして、自分は興味ないから一人で回ってきなよ☆(笑顔)といって自分だけフリーパス買わずにベンチに座ってマンガを読むとどうなるでしょうか。
確かにその方がお金は浮くし無駄な時間を読書に使えてだんぜんおトクですよね!
でもそれはもはやフリーパスどころかサイコパスです。
そのように人間社会は合理主義でカバーできないところがたくさんあります。

僕は、合理主義で得られるものは「お金」「時間」だと思ってます。
この二つ、超重要。分かる。
でも逆に言えば、お金と時間以外得られるものは無いってことです。
え?
お金と時間が最重要だからそれでいいじゃねえかって?
え、それマジで言ってる?
ちょっと冷静になって考えてみてください。人生にはお金と時間以外にも大切なものがあるんですよ。
たとえばゼルダの伝説ブレスオブザワイルドで7,000円ほどのお金と800時間ほどの時間を失ったこの僕を見てくださいよ。
不幸に見えますか?
2周目のマップ禁止とワープ禁止縛りプレイを終え、現在3周目のマスターモードで金ライネルを全裸で狩るこの恍惚とした僕の表情を見ても、あなたは僕が「損をしている」と思うでしょうか?

合理主義でカバーできないものは他にもあります。
僕は小学生の子供たちを育ててますが、これは合理主義からすれば最高に意味の分からない行為です。
お金と時間、この大事な二つを、それはもう湯水のようにばっしゃばっしゃ使いまくる行為です。
よく「コスパ」っていう言葉も使われますが、育児なんざコスパ最悪もいいとこです。
ちょうどこないだも長男の歯並び矯正の値段を調べてみてスマホ握ったまま前のめりに倒れたところですよ。
合理主義的な見地からすれば、このようにお金が減る、時間が取られるものは、そのかわりに何かものすごいリターンが得られる投資でないと成立しません。
がしかし、子育てにリターンなど望んではいけないのは周知の事実。
いつかはこの子も家を出ていくのね…寂しいけどそれが子離れ…はやく自立して私たちの老後をお願いね…と思っていたら長男は就職に失敗して40過ぎても無職の実家暮らしでピザデブ化し、一方大学進学を機に家を出た次男はハリウッド映画の影響でピザ職人になるためにアメリカに旅立って結局ピザデブ化するという…
ああ、なんというノーリターン!!
子育てはデメリットしかない!!!
って、
思います?
そうじゃない、理屈では説明できないめちゃくちゃでかい魅力があるから、世のお父さんお母さんは頑張って育児してるんですよね。
ではその正体は何かというと「幸福感」のためです。
合理主義、すなわち「お金」と「時間」は実は、「幸福感」を得るためのただの手段の一つに過ぎないのです。
それは目的じゃないんですよ。
でもそのことを忘れちゃってる人がたくさんいるように思います。
あるあるですけど、手段が目的化してるんですね。

さてやっと家の話に戻りますが。
これ、家だって同じことじゃん、って思うんですよ。
いくら高気密高断熱でスペックが高くても、いくら低燃費でエアコンがよく効いて春夏秋冬いつでも適温で過ごせても、それを「心地いい」「好き」「幸せ」だと感じるかどうかは別問題だっていう話。
低気密の隙間だらけの古民家と、高気密の離れを往復して過ごしている僕は日々感じます。
おトクなのは高気密。
しかし、本当にリラックスできて、いろんなことがあって楽しくて、トータル居心地がいいのは低気密の古民家であると。

そもそも、日本人の感覚に合理主義っていうのは本来はあんまり合わないと思ってるんです。
合理主義ってのは、究極は自分の都合に合わせて相手を従わせるってことです。
自分の利益のために、周りの環境をコントロールして自分に最適化させるということ。Uberやらお急ぎ便やら便利なサービスというのはすべてこのニーズに応える形で生み出されています。
ところが日本人って昔からそうじゃなかったよねと。
我々のご先祖様は、コントロールできない自然を敬って、自然と共生するという精神性を獲得したんじゃなかったっけと。
つまり夏はいくらか暑い、冬はいくらか寒い、虫は入ってくる、風は通り抜ける、でも、そういうのが心地いいよね、って言えるDNAが我々にはあるんじゃないか? と僕は思うんです。
実際、暑い寒い=不快、ではないんですよね。
真冬に冷え切った手足で飛び込む湯船がどれほど気持ちいいか、炎天下の真夏に庭のホースで水浴びするとどれくらい気持ちいいかを思い出してみてください。
僕にとっての夏や冬はそういう体験と共にあります。
もちろん僕はズルしまくりなので、寝る時は高気密の離れで寝ますし、仕事も高気密の2Fでエアコンがんがんつけてやってます。
でもしんどいんですよね。
エアコンで適温になって集中力が高まり、仕事の効率は上がるんですが、不思議なことに快不快でいうと「不快」なんですよ。
だからエアコンで冷え切った身体は、母屋に移って回復させます。
じんわり汗ばむくらいの室温に、扇風機とうちわで、首にタオル巻いて過ごしていると、なぜか身体の機能が少しずつ回復してくるような感覚になるんです。
喉が渇くとスイカ食ったりして、さらにそこに風が吹き込んでくると超気持ちいいの。
そんな自然の恵みというか、コントロールできないものにこそ「魅力」や「心地よさ」は潜んでいるし、そこに最大の「幸福感」があるのであれば、光熱費がかかろうが虫が歩いてようが、最&高じゃないの、っていう話です。

ということでまたもやクッソ長文、しかも真面目な論調になってしまいましたが、ここまで読んでくれた方はいらっしゃるのでしょうか。
僕の言いたいことは以上です。
皆さんも家づくりされる時はぜひ「お金」と「時間」以外のものの尺度も大切にしてくださいね。
自分の最終の「目的」が何であるか。きっとその方が大事だと思いますから。

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