「動く」ということ
今回は先日参加した「民家サミット2024」のレポート記事……のはずだったんですが、、僕の英語力が素晴らしすぎてほとんど聞き取れず壁際で棒立ちであったためゴミ記事になる確率が70%を上回り、急遽ちょっと別の角度で何か言うべきことはないかと考えた結果、タイトルの通り「動く」ということについてこの機会に語ってみようと思います。
今年の民家サミットは京都の山奥で三日間にわたり開催されました。
「京都の山奥」って簡単に書きましたが一時的に圏外になるレベルの山奥です。
三日間フル出場の僕は亀岡に連泊したんですが、亀岡から会場までは山の中を1時間以上走るんですよ。そんなん知らんかった僕は、個人的にもう二度と走りたくないと感じた山道を3往復もすることになったのでした。
で、
今回も思ったのは、そんな不便な、圏外になるような山奥に、なんでこんなに人が、しかも、海外からの人たちがやって来るんだよォォ!!
ということです。
それはひとえに海外の方に古民家がとても愛されているということもありますが、同時に、彼らのフットワークが死ぬほど軽いから、ということも言えるでしょう。
今回、僕は出会う人にどこから来たのか聞いてみました。するとほんとに様々で、日本在住の方もいれば、アメリカ、イギリス、台湾、オーストラリア、イタリア、コスタリカなどからいらっしゃってて、そんな人が電車も英語標識もないこんな山奥に一体どうやって集まってきたのか、ほんとにすげえなと感心したわけです。
かく言う僕も三日間参加したわけですから、まあフットワークは軽い方だと思います。
でも僕、基本的にウルトラ出不精なので、どんなイベントも集まりも、行く前は死ぬほど行きたくないって思うんですよ。
心の底からこの家を出たくない。
家っていうか部屋を出たくない。
一生ここでコーヒー飲んでマンガ読んでいたい。
しかし!
僕は行くのである。
なぜか。
行けば、絶対に良い出会いがあり、良い流れが生まれると、経験則で知っているからだ!
案の定、今回も超面白い人に出会いました。
その方は三日目の最終日、ラスト1時間前に会場にふらりと現れ、たまたま僕の近くにやって来て、たまたま声をかけてもらい、たまたまお互いのアレがナニして、今、これまで思ってもみなかった流れが発生したのでした。
こないだメシ食いながら、あんな山奥で、しかも雨降ってる最終日のラスト1時間なのによく来ましたねぇ、と言ったらその方はニコニコされてましたけど、つまりそういうことなんですよ。
そういう方々が集まった、そういうところに流れというものが生まれるんですよ。
僕の人生はいつもただ流されるだけです。
でも、流れが発生するような場所には、無理をしてでも顔を出すようにしているのです。
真面目な話をするとね、流れの力っていうのはすごいもんです。
僕の今回の受賞騒ぎにしても、あれはその前から明確な運の流れがあったんですよ。
受賞は運だと言われますし僕もそう思いますが、その運や流れというものを、ある程度、自分がコントロールできるというか、作り出すことができるんですね。
そもそもあの時に僕が古民家を選んでなければ、クロニカも、たぶん受賞も、何も無かったと思います。
以前に書きましたけど、僕はあの時、購入する土地も決めていて、新築の間取りプランも完成していて、あとは電話一本かけるだけで夢のマイホーム計画がスタートするはずだったのです。
でも僕はそれをひっくり返した。
そこからすべてが始まったといっても過言ではないので、あの時の僕の判断、僕の行動、ほんとにナイスだったと我ながらいつも思います。
そう。
僕はさっき、流れに流されるだけだと書きましたが、それは何も考えずにぼーっとしてるという意味ではありません。
正確に言うと「良い流れに流される」ということであり、同時に「嫌な予感のする流れには絶対に乗らない」ということでもあります。
そういった部分の意思決定力があるかどうか。
嫌だな、何か違うな、と思いながら、周りの人たちに気を遣ってつい流されてしまう……
部長がカツ丼で、課長もカツ丼で、取引先の島田さんもカツ丼だから、ざるそばを食べたい気持ちに嘘をついて「あ、じゃあ私もそれで」と頼んでしまう……
日本人にはそういうタイプの方が大勢いらっしゃるかと思いますが、この民家サミットに来るような人たちはまさにその真逆の人々です。
アジアの隅にある国の伝統的建物を好きになり、飛行機と電車とレンタカーを乗り継いで、こんな圏外の山奥にまでやって来るような方々というのは、これまであらゆる物事を自らの意思で決定し続けてきた人たちなのだろうと思います。
あ、レポも一応やっときますね。
今回、古民家再生協会さんもブースを出展されており、これはかんなを使ったお箸作り。これが意外と人気で、ひっきりなしに海外の方が挑戦されてました。
これも同じく再生協会さんの、仕口で組むジャングルジム。
これも面白いんですよ。金物を使わない、栓で固定する構造物を、子供たちが楽しんで組み立てて、完成したら遊んで、その後でちゃんとバラすんです。
僕は今回ブースのところにいたんで、パネルディスカッションはほとんど見ませんでした。
おかげで心の傷口はあまり広がらなかったんですが、前回も参加されていて、僕に古民家の「貫」が持つ耐震性の特徴について教えてくれた四カ国語を話す設計士さんに流暢な日本語で「ごめんけど、英語くらい喋って?」と言われたことが忘れられません。
いやまじで心の底から仰る通りです。
ここに来る人たち、フッ軽な人たちは、皆さん当たり前のように母国語以外の言語を話すし、日本語も話せるんですよ。
なんなんあんたら。
フッ軽を極めればこういうことになるんですねと、僕は今年も、人として様々な勉強をさせて頂いたのでした。
そんなわけで、僕がこの民家サミットで学んだ一番大事なことは「動く」ということでした。
毎日ぼんやりと環境に埋もれ、なんとなく日々を過ごしていても、ここぞという時に動けるかどうか。
まず動く。
すると「流れ」がくる。
あとはただその良い流れに流されるだけ。
この方程式を、人生の大事な分岐点でも使えるかどうか。
大事なのは、挙式当日にウエディングドレスで逃げることができるかどうかなんです(例えが昭和)。
でも実際に僕は考えまくった新築プランとあれほど探し回った末に見つけた土地を捨てました。
みんなに反対され、誰も味方がいない中、古民家を買いました。
その決断が、今の僕のすべてを形作っているのだと思います。
やー、説教くさいね。今回は特に。
おっさんの三大必殺技、自慢話、昔話、説教話、その一つを思い切りやっちゃいましたね。
でもほんとにあの三日間で僕が感じたのはそういうことでした。
あとさ、
生き生きしてんのよ。皆さん。
そんな人たちが古民家を愛しているという事実を目の当たりにして僕は、ああ、やっぱり自分の選択は間違いじゃなかった、この流れで良かったんだなって、改めて思いましたよ。
おわり。