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家をつくっていくということ

今回はちょっと事件があったのでそのご報告です。
事件といっても空き巣に入られたとかではありません。
仮に空き巣に入られたとしても貴金属ゼロ・貯金ゼロのうちの家で一番高価なのは数年前に買った型落ちのノートパソコンなのでべつに何を盗られてもダメージはあまりない。
仮に車を盗られたとしてもうちの車は本体価格がノートパソコンより安かったのでたぶん売ったら逆に金取られるのでおすすめできない。

って何の話やねん。
あ、一応ここ読んでる古民家好きの泥棒さんにお伝えしておくと、僕は両足の爪が巻き爪になるくらい24時間体制で家にいるので来ても無駄だよ!

はい。本題です。
結論から言うと、ブドウがめちゃくちゃ実った。

で、私は別にブドウがめちゃくちゃ実った、ということを言いたいのではない。
こういう生活のことを言いたいのである。
こういう生活とはどういう生活かというと、大谷石を敷いた野外ポーチだったはずのところが、なんとなくパーゴラをつけ、一年後に屋根つけたいなーと思って屋根をつけ、子供にせがまれてブドウの苗木を買ってきて、なりゆきでパーゴラの下にフェンスを吊して、適当に放置してたら三年後にブドウがなった、という生活である。

まず初期状態がこれ。

いやあ、懐かしいですね。2017年か。
バキバキに折れた物干しとか、ここから自由にお入りください的にブチ抜かれたままの壁とか、置くところがどうしてもなくてブルーシートをかぶせて庭に放置された雨ざらしの木製家具とか、見てるだけであの頃の気分が甦ってきて吐き気がしますね。
今でも直視できないので画面から目をそらしてさっさと次に行きます。
この3年後がこちら。

スチールサッシが入って戸締まりができるようになり、木製家具も家の中に置けて、洗濯物も家の中でできるようになった、すなわち、まともな暮らしになった2020年です。
今見ると空がえらいスッキリしてますな。
その後、ここにパーゴラつけてみる? と思ってパーゴラつけてみたんですね。
その時の様子がこちら。

で、このあとやっぱ雨かかるのちょっと不便だよねってことでパーゴラに半透明のポリカの屋根をつけて、それから画面手前に適当にその辺のホムセンで買ってきたブドウの苗木を鉢植えで放置。

これは2023年の写真。ブドウの苗木はまだ全然やる気を出しておらず、写真にもほぼ写ってません。(柱の左にある茶色い木は別のやつ)
まあべつにやる気が出なくてそのまま枯れてもいいけど、ブドウ植えたいの俺ちゃうし、って感じで完全に放置してました。
で、2年後の2025年にこれ。

家の話と言いながらずっとパーゴラとブドウの話しかしてませんが、僕の言いたいことはこうです。
たとえば大手で家を建てた時に、こんなことできる余地が残されているでしょうか。
予算をきっちり組んで、きっちり見積もりして、外構も素敵なイラスト付きで完璧にデザインされて、絶対に施主からお金のことでクレームの入らない状態にガチガチにプランニングされた家づくりには、こういう適当な余地がなかなかありません。
ようするに「住みながらその場のノリで変えていく」ということができない。
対して僕の古民家リノベーションは突然の思いつきを反映したり、試しに余計なことをやってみたり、そうして動的に家を変化させてきました。
間取りについても同じように、子供の成長に合わせてリビングの一部に板を打ち付けて仕切ったり、気付けば一角にダンボールハウスを建てられたりしながら暮らしてきました。
洗濯物だって、初めは庭の近くに干していたのが、数年後に少し離れたところに物干し台を作ってそっちで干すようになり、2025年時点ではそれも止めて広めの渡り廊下で干すようになっています。
僕は「和洋折衷の家」で間取りを考える仕事もしていますが、間取りを眺めながらいつも思います。
初期設定通りに暮らし続けるのはどうも自然ではないんだろうなと。
子供部屋を二つに分けるとか、老後は一階で、とかそういうレベルではなく、人間の暮らし方はもっと年単位で変化に富むものだと思っています。
今はそれで良くても、数年後に違う気分、違う状況になっているかもしれない。
その時にフレキシブルに対応できるのが昔ながらの日本の家であり、古民家の良いところだと思うのです。
だから僕は間取りプランを行う時でも、部屋ごとの目的をがっちり固めません。
日本人がこれまで何百年もやってきたように、「八畳間」「六畳間」というゆるやかな枠を設定するだけです。
それは時には食卓にもなり、寝室にもなり、子供部屋にもなるでしょう。
僕のつくったポーチだって、明確な目的もなく、ただ「床に大谷石を敷いた六畳くらいのスペース」というコンセプトでつくったからこそ、今こうして美味しいブドウを食べることができているんだと思います。

余地のない家、余白のない家に住んでいると、そもそも「そういう発想」が出てこないんですね。
あれ?ここってもしかして部屋にできる?とか、この壁邪魔やな、とか、リビングのダンボールハウスを子供部屋にするとか、そういうことをしようとは思えない。
それが何よりもったいない。

無駄のない動線とか、スペースを賢く有効活用とか、そういうのは人を建物に当てはめていくスタイルです。
僕はそうじゃなくて、逆に建物が人に合わせてくれるような家が好きです。
余地のこと、余白のこと、古民家に住むようになってからその大切さを身に染みて感じています。

ということで、今日も大量のブドウをいただきます。
これでまだ1/6くらいの量……
ではまた。

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