「暗い」「寒い」「危ない」という古民家の三大不安のうちの一つ、耐震性。
古民家の耐震性について正確な知識を持っている方は少ないと思います。それはたとえプロの工務店でも同じことです。なぜなら「古民家」は今や法律に適合せず、学校でも現場でも教わることがなくなっているからです。
このページでは、ほとんどの方が知らない「古民家の耐震性」について、これまで古民家の耐震を研究している方々や現場の方々に伺ったお話をまとめてみました。
目次
震災時の報道で必ず映されるのが、崩れ落ちた土壁、散乱した瓦……
1995年の阪神淡路大震災の時もそういった報道がなされましたが、その影響で多くの人が「古民家は危険だ!」というイメージを持ったように思います。
その5年後、2000年の品確法施行により「耐震等級」というものが制定され、メーカーや工務店は新築の「耐震等級」を売り文句にし始め、一般の人も知恵袋で「新築を計画中ですが、主人と耐震等級を2にするか3にするかでもめています。私は家族の安全を重視したいため断然3派です。等級2の家は不安で住む気になれません。3にして良かったという方、ご意見をお聞かせください」みたいな相談が寄せられる時代になりました。
そういう人には、耐震等級ゼロの古民家はアウトオブ眼中(死語)だと思います。確かに、古民家はいわゆる「耐震診断」をすると0点です。危険きわまりない建物です。
ではなぜ、ちょっとの地震でも崩壊するような危険きわまりない建物が、日本全国で100年、200年も残っているのでしょうか。この矛盾に気付いた人は「なんで?」と思って古民家の耐震性について調べ始めます。僕がそうでした。
それから数年経った今、これまでにお会いした大勢のプロの方々のお話と、自分なりに考えてきた解釈を、こうしたコンテンツにまとめることにしました。もちろん諸説ある話です。いろんな考え方やデータがあります。だからこれはあくまで僕が採択した説ということになりますが、最後まで読んで頂ければ、「なんで?」という疑問はなくなるんじゃないかなと思います。
では少々長くなりますが、漢字も多めですが、ぜひお付き合いください。
大前提として、古民家と現代の住宅は、同じ木造(木造軸組工法)であっても構造が違います。
いつものヘッポコ絵ですみませんが、下図をご覧ください。
こんな感じでですね、けっこう違うんです。古民家の工法は「伝統構法」と呼ばれ、木材を縦横に組んで、「仕口」「栓」「継手」と呼ばれる技術によって木材同士をつないでいます。コンクリート基礎はなく、柱が石の上に乗ってるだけ。地面とつながってません。
対して現代の家は「在来工法」と呼ばれ、「筋交い」という斜めの材を入れ、「金物」と呼ばれる金属パーツとボルトでガチガチに固めます。土台もコンクリートに金物を入れてガチガチにします。
もうこの時点で「古民家ゆるゆるやん…完全アウトやん…」と思われますが、じゃあ日本の家はこれまでの1000年以上の間なぜガチガチにされなかったのか? 鋳造技術があるんだから金物も作れるし、筋交いだって思いついたはず。この地震大国でそれをなぜ採用しなかったのか? 日本の大工は1000年間全員アホだったのか?
そんなわけないですよね。ちょっと考えれば分かりますけど。もちろん理由があるんです。
なぜ日本はガチガチにしなかったのか。それは地震に「耐える」つもりがなかったからだ、ということです。なんとまあ日本的な発想でしょうか。日本人は自然と闘わないんですよ。庭でも、家づくりでも、自然を打ち負かすというのではなく、自然と仲良く生きていく、という発想です。どうしたかというと、圧倒的な地震力に対し、ごまかす、という方法を選んだんです。それがいわゆる「免震」という手法です。
そう、実は地震に対しての方法は一つだけではないのです。「耐震」「免震」そして高層ビルなどでよく採用される「制震」というのもあります。
この中でご先祖様が選んだ工法は、大きな揺れが来ると、重い瓦で浮き上がりを押さえ、揺れが大きくなると瓦を落として荷重を減らし、柱や貫が曲がったり土壁が崩れることで地震力を吸収し(制震)、足元を動かすことで地震力を無かったことにする(免震)という性質を持っています。
だから、免震+制震の構造になっている古民家に「耐震診断」をかけると0点になるんですね。でもこの事実は案外誰も知りません。工務店さんでも知らない可能性は充分にあります。耐震診断で0点になった、だから危ない、建て替えないといけない、だからコンクリート基礎を作って筋交いを入れまくって耐震補強、という流れが、現在の「古民家再生」の主流です。
それが間違いだというわけではありません。ただ、古民家の耐震補強には大金がかかります。それに壁を増やすとせっかくの古民家の良さが無くなります。だから施主さんは免震か耐震か、ご予算とお好みで選べばいいんですが、その際、工務店や設計事務所の多くが「耐震化の提案しかできない」ことが問題なのです。
なぜその提案しかできないのかというと、施主の理解を得にくいとか、木造の構造設計の専門家がいないからとか、そういうまっとうな理由の場合もありますが、おそらくほとんどが「知らないから」という理由ではないかと思います。
法律に載っていないので、古民家は建築学校でも習わず、現場でも誰も知らない。だから、現在の家と同じ「耐震化」という方法しかできない。
え、ちょっと待って、なんでこの国の伝統的な建物がそんな扱いになってんのと。おかしくないですか? そんな国他にあります?
一体いつのタイミングで、なぜこんなことになってしまったのか。それを解き明かすため、次は「建築基準法」の歴史を追いかけてみましょう。
この国のあらゆる建築物の「建て方」を規定した建築基準法の施行は1950年。この年を境に、日本古来より続いてきた古民家という伝統建築が「既存不適格」となってしまったのですが、その流れはさらに遡った1891年から少しずつ始まっていました。
下記は今回色々とご教示頂いた伝統構法耐震研究の専門家の方から頂いた年表です。(一部加筆)
1891 (明治24)年 |
濃尾地震 |
---|---|
1920 (大正9)年 |
市街地建築物法施行(金物使用の規定、耐震化へと舵を切る) |
1923 (大正12)年 |
関東大震災 |
1924 (大正13)年 |
市街地建築物法改正(筋交いなどの耐震規定) |
1950 (昭和25)年 |
建築基準法制定 |
1978 (昭和53)年 |
宮城沖地震 |
1981 (昭和56)年 |
新耐震基準(大規模改正) |
1995 (平成7)年 |
阪神淡路大震災 |
2000 (平成12)年 |
建築基準法改正(壁や柱の固定、金物の仕様規定、壁バランスの確認) |
このように、大規模地震があるごとに法律が見直され、徐々に耐震化への道が整備されていったわけですね。
でも、これまで伝統建築でやってきた日本が、なぜ1920年に突然「耐震」の方向になったのかが分かりません。その疑問に対しては、先の専門家の方から「明治維新の西洋礼賛の流れで、建築業界のエリートたちが西洋の建て方を輸入したのでは?」という見解を伺いました。
なるほど! たぶんそうだと思います。僕は大学で日本文学を学びましたが、夏目漱石なんかモロにそうなんですね。「色々学んで来い」という文部省の命で彼がロンドンに留学したのが1900年。そこで漱石は海外と日本の差に愕然となってノイローゼになり、1年後に強制送還させられてます。そんなエピソードが示す通り、文学にしろ建築学にしろ医学にしろ、当時の知識階級にとって「西洋文化」との出会いは、漱石が愕然となるほどの衝撃であり、率先して学ぶ対象だったのです。
これまで僕は、1950年の建築基準法の時点でいきなり伝統建築が否定されたのだと思っていました。ところが年表を見る限りそうではないですね。法の施行についてはGHQの介入はあったと思いますし、戦後の住宅不足に対応する「誰でも簡単に早く作れるルール」が必要とされた時代背景など、いくつか要因はありますが、耐震化への流れそのものに関しては、それよりもずっと前から、明治時代の建築エリートによって流れが生み出されていたのだと今では思います。
そしてここがポイントなんですが、その建築エリートが、伝統構法の優位性をちゃんと分かっていたか? というところです。伝統構法は理論ではなく、主に経験で、口頭伝承によって、現場で親方から若手へと受け継がれてきたものです。だからデータが無くて、科学的に優位性を証明できない。西洋学はデータの取れないものは全部アウトオブ眼中(死語)なので、西洋の影響が強まっていくにつれ、伝統構法は排除されていったのではないかと思います。
あと、建築エリートと現場の大工さんの溝というのも一つの原因では? という説も伺いました。かたや「てやんでェ、道具ひとつ使えねぇやつが偉そうに指図すんない、家ってのはこうやって建てるんだベランメェ」みたいなねじり鉢巻きの大工さん。かたや「我国に於ける建築理論は甚だ後進的と言はざるを得まい。大工職人の無知蒙昧を是正せしめ、且つこれらを完璧に教育するには後十年はかからう」みたいな上から目線の口髭エリート。
そうです。そんな両者が仲良く仕事できるわけがないのです。
この溝は現代になってもまだあちこちの現場で存在していますが、エリートと職人、この両者がうまく相談し合えていれば、今の日本の風景はもっと美しく、いい感じに変わっていたのではないかと思われます。
しかし、現実はそうではありませんでした。やがてエリートは言うことを聞かない職人を放置したまま、法律を先に変えてしまいます(※)。その決定打となったのが、1950年の建築基準法だったのです。
※参考資料:武村雅之「濃尾地震と関東大震災」名古屋大学豊田講堂講演録.平成23年10月28日
さて建築基準法施行以降、日本の木造住宅の構造がどのように変わっていったのか。これを図示してみました。おなじみヘッポコ絵ですが見てみてください。
1. いわゆる古民家の形。100年前はみんなこれ。地面と連結していないおかげで、地震の力を逃がす免震構造です。
2. 石に乗ってただけの足元に、コンクリートの基礎がつきました。この時点で免震構造ではなくなっています。たぶんこの形が一番やばいです。
3. 柱が見える真壁ではなく、柱を隠す大壁に。まだ筋交いは入っておらず、土壁です。ついでに木製建具はアルミサッシになりました。相変わらずやばい構造です。
4. 瓦屋根がスレート屋根になりました。二階の居住性もアップ。金物・筋交いはおそらく気持ち程度に入ってます。壁は土壁。基礎はまだ布基礎。有名どころでは「野比家」がこの辺りの仕様かと思われます。
5. 見た目はほぼ変わりませんが、基礎が「ベタ基礎」と呼ばれる堅牢なものになり、筋交いがちゃんと入り、壁が石膏ボードまたは構造用合板になりました。1981年の新耐震基準以降のお家です。
6. 総二階で、窓面積が小さくなり、耐震等級3を獲得した家。しっかりした金物が使われ、バランスも重視され、筋交いもたくさん入ってます。現在の姿です。
いかがでしょうか。
もちろんこの他にも無数の組み合わせパターンがありますが、伝統建築はこうして徐々に今の家に近付いていったのではと思います。
ここで重要なのは、2番~4番の「瓦と土壁だけど伝統構法になってない家」がたくさん存在するということです。伝統構法の粘りもなく、現代の家の固さもない、そういった「過渡期」の家は1950年以降、日本全国の住宅不足を補うため大量に建てられました。ちなみに1975年に建てられた僕の実家もこれです。耐震補強した方がいいやつです。
そんな過渡期の家々が大量に倒壊したのがこの震災だったわけです。瓦が散乱し、土壁が崩れ、ぺしゃんこになった和風の家。その姿はメディアによって大々的に報道されました。
しかしながら、倒壊したのは大多数が戦後の建物、つまり見た目は和風でも「伝統構法の古民家」とは言えない家ではなかったかと思われます。「神戸は空襲でほとんどの家が焼けた。だから1995年当時、古民家はそもそもごくわずかしか残っていなかった」という指摘もあります。
また一方で、手元の資料にこんな記述があります。
東灘区の一部地域を調べた調査結果によると、木造住宅の約30%に腐朽やシロアリ被害が見られ、特に築30年以上の建物では、それが60%に及んでいた。そして、腐朽や蟻害の見つかった住宅は、新しいか古いかを問わず90%以上が全壊、維持管理の善し悪しが建物の強さに大きく影響することが示された。
「阪神・淡路大震災 被災地”神戸”の記録」(1.17神戸の教訓を伝える会 編)より抜粋
つまり過渡期のバランスの悪い家だったばかりでなく、コンディションも悪かったという事実があったのです。そういう視点が、当時の報道や識者の見解には決定的に欠けていました。
残念ながらその結果「瓦屋根の古民家は危険!」「土壁の古民家が危ない!」というイメージが植え付けられてしまった、というのが僕の見解です。
現在、「古民家再生」というジャンルの登場により、ようやく伝統構法に再び光が当たりつつあります。古民家が耐震ではなく免震構造であると気付いた専門家の方々によって、これまでデータ化されていなかった「伝統」技術の有効性を証明しよう、という動きが活発になっています。
例えば、「伝統的構法の設計法作成及び性能検証実験 検討委員会」。こちらが2012年に行った伝統構法の家に対する震動台実験は、トライ&エラーを繰り返せない地震被害のデータとしては非常に貴重なものです。下記にご紹介するのでぜひ見てみてください。
特に、家の足元部分に注目してください。地面とつながっていないおかげで、建物に地震力が伝わっていないことが分かります。
この他にも、僕もお世話になった一般社団法人伝統構法耐震評価機構が行っている「伝統耐震診断」というものもあります。これは「古民家? あ、じゃあ0点ですね~」みたいなその辺の耐震診断とは全く異なります。伝統構法を長年研究している団体が行う、伝統構法のための耐震診断なのです。
このように、現代の最新の実験や研究結果などから、徐々に「職人の伝統技術」というものが明らかにされつつあります。今後こういった各研究のフィードバックを受けて、やがては伝統構法を再び認める法改正まで進むのではないかと僕は思っています。
さて、一方の現代の住宅の話ですが。冒頭で触れたように、今は消費者向けの分かりやすい基準として「耐震等級」というものが設定されています。耐震等級1は、建築基準法で定められた最低限の強度であり、等級3は、等級1で想定する地震力の1.5倍程度の耐震性があるとされています。この耐震等級を「びくともしない」という意味で捉えている方がほとんどではないでしょうか。
倒壊しませんというのは、びくともしないという意味ではなく、倒壊しない、という意味です。たとえば極端な話、四角形の家が平行四辺形になっても「倒壊してませんね」となるのです。それにそもそも地盤がどうなのかとか、どんな地震がどう揺れるのかで、耐震能力というのは大きく左右されます。実際、先の熊本地震では耐震等級2の家が全壊するケースもあり、業界にそれこそ「激震」が走りました。
これは以前、とある工務店の社長さんに聞いた話ですが、現代の金物を使った住宅というのは連続したダメージに弱いそうです。伝統構法であれば木組がしなって持ちこたえますが、金物で固定された建物は、一度目の揺れで金物が破損すると急に強度が落ちて、二度目の揺れで倒壊してしまうのだと。連続した揺れが発生した熊本地震において、上の耐震等級2の倒壊事例はまさにそういうケースだった可能性があります。
ここまでお読み頂いた方には、冒頭の「耐震等級2か3でもめてる夫婦」の議論が微妙なものに思えてくるかもしれません。一つ言えるのは、耐震等級というのは絶対的な保証ではなく、あくまで「目安」に過ぎないということです。
古民家は安全! あるいは、古民家は危険!
こういった二元論にしたいお気持ちは分かりますが、それはつまり「大阪人は阪神ファン! 大阪人は声がでかい! 大阪人は吉本新喜劇が好き!」みたいなレッテルを貼る行為と同じことです。世の中にはもちろん僕のように阪神ファンでもなく、声も小さい大阪人もたくさんいらっしゃいます(新喜劇はみんな好き)。
つまり、地震に強い古民家もあれば、弱い古民家もあるということです。メンテナンスされた古民家もあれば、シロアリでぼろぼろになった古民家もある。その古民家がバランスのいい作りなのか、後の増改築で変なことをされているのか、いないのか。建てた大工の施工精度が良いのか悪いのか、地盤はどうなのか、その時の揺れがどう来るのか。
そういった様々なファクターを無視して「古民家は危険です!」「いやそうじゃない、古民家は地震に強い!」などと乱暴なことは言えません。ただ少なくとも「古民家”だから”危険だ」「耐震等級3″だから”安全だ」という認識は、間違いであることをはっきり書いておこうと思います。
一つの事実として、僕の家は地震や洪水、台風などの被害から免れ、100年間この場所にずっと立っています。山や海や丘や池を造成して建てられた新興住宅地と比べてどちらが安全か? そういう観点もまた一つのリスクヘッジではないでしょうか。
結局、いろんな方々のお話を伺って思うのは、古民家だろうが耐震等級3だろうが、地震は来てみないと分からない。僕の現時点での結論はこれです。
たとえば、絶対的安全性を求めるなら窓の無いコンクリートの箱になる。安全性を追求する人はそうすればいいと思います。ただ、住宅はそれだけではない。僕は地震研究者ではなく、その家で暮らす施主なのです。「万が一」の一瞬以外にも、何十年も続いていく日々の暮らしがある。それを豊かに彩り、快適なものにするのもまた家の役目ではないでしょうか。
車のドライブを楽しむことは、事故のリスクを負うということです。それでも車で出かける人、やっぱり怖いから家にいる人、いろんな選択肢と方法があっていいはず。
「車は事故リスクがあるから禁止だ」「古民家は危ないから潰せ」というのは、あまりに一方的で、もったいない。
この文章を読んで頂いている方々は、大なり小なり古民家に興味がおありで、古民家に憧れがあったり、デザインが好きだったり、住み続けようか迷っていたり、何かしらのお気持ちがあると思いますが、このコンテンツはそういう方々の背中を後押しするために書かれました。
ぜひ自由な選択肢をもって、自分に相応しい家を選んでください。
そのための一つの考え方として、このコンテンツがあなたのお役に立てれば幸いです。
おわり。