古民家と小説とわたし
皆さま、前回はどうもお騒がせしました。
今確認しましたが、前回だけアクセス数が露骨に減ってて「ごめん」って思いました。
で、ごめんついでにもうちょっとだけ自分の話をさせてもらいます。
これもまた減るやろな。
ごめんやで。
実は小説書いてて、文学賞とりました! っていきなり言われるのって、一緒に働いてる同期が「実は私9歳まで暗殺者として育てられてて、施設から逃げてきたんだよね」って急に言い出すみたいな、えっちょっとどういうこと??え??? みたいな感じなのかな、とも思いますので、もう少し説明して、みんなが「ああ、だからこの会社に入ったのね!」くらいにスッキリできるよう努めさせて頂ければと思います。
つってもまあ別に、なんもないんすけどね。
小説書いてるやつが古民家に住んでるってだけで。
以前よりブログの文章を褒めて頂くことが多くて、小説書いてますって言うと、ああ、だからか……とご納得されることが多いんですが、今振り返って考えてみれば、うーん、そうでもないんじゃないかなと思います。
というのも、小説(純文学)とブログでは文体(文章のノリ、使う言葉、構成、目的)が全然違うからで、小説で培ってきたスキルなんてブログの文章では一切使ってないし、その逆もまた然りなんです。
僕のブログの文章は、思うに小学校三年生の時に創刊された「ファミコン通信」という、ゲーム雑誌の皮を被った超スーパーサブカルアングラ雑誌の影響が一番大きいと思います。
のちに「小島組」と呼ばれる超個性派のライター陣が書き殴った、今考えてもめちゃくちゃ破滅的な企画と文体が、コロコロコミックとか「小学三年生」みたいな世界観で生きていた10歳の僕の側頭部をフルスイングで吹っ飛ばし、人生が狂いました。
今でこそ普通のゲーム雑誌になりましたが、創刊当初はゲーム紹介なんかろくにしていなくて、そこにあるのはメインの読者層である小学生フル無視の内容で、当時の時代の最先端にいたオタクたちのほとばしるバイブスとインスピレーションを全身に浴びた僕は、そこから10年以上ファミコン通信を愛読し、毎号ほんとに隅から隅まで読み漁ったのです。
たぶんその結果がこの文章なんだと思います。
そして何より大事なのは、「道を外れる」という経験だったように思います。
学校で教えられること、親から教えられること、テレビが言ってること、その他、なんとなく「この社会の基準におさまる範囲」のものに囲まれて生活していた僕が、生まれて初めてその基準から外れたのが小三のあの日でした。
僕は基準から外れることの面白さを知り、どんどん一人で外れてゆき、作文は支離滅裂になり、先生を呆れさせ、やがて小説を書くようになったり、写真を撮るようになったり、ホームページを作ったり、いろんなものをデザインしたり、古民家に住んだりするようになりました。
そういう意味では、僕の文章、僕の思考、僕の小説と僕の古民家暮らしは、根は同じなんだろうと思います。
ようするに基準から外れてることばっかやってるわけです。
人が書かないだろう文章を書き、人が住まないだろう家に住み、そのようにして僕は毎日暮らしています。
それは別に何かのアンチテーゼだったり逆張りだったりするわけじゃありません。基準から外れたものの面白さを知ってるからです。
ものの基準というのは、無害で安全な場所に自然と収束していきます。みんながノーダメでトラブルも起きず何事もなく暮らしていけるのが「社会の基準」になるからです。
でもさ。
何事もないのってつまんないじゃん。
そう。つまんないんですよ。
社会の基準の最大の目的は「安定」なんだから。
そのつまんなさに耐えられる人と、耐えられない人。古民家に住むかどうかっていうのは、そんな違いでもあるように思います。
というような説明で、古民家に暮らしてる僕が小説を書いてること、なんとなくご納得頂けましたでしょうか。
無理か。
まあええ。
べつに無理にしっくりきてほしいわけじゃない。
俺だって近所の魚屋のおっさんの嫁がイギリスから来たブロンド美人だったりしたら永遠にしっくりこない自信あるもんね。
でも人間そんなもんですよ。
しょぼくれたセクハラ部長が実は剣道でインターハイ制覇してたり、大工の伝統技術を継承した腕のいい職人がパチンコで日当をすぐ溶かしてたり、そのように人間誰しも、いくつかの顔を持っているものなんですよ。
だから僕のこともそんな感じで思っといてください。
てことでずいぶん脱線してしまいましたが、次回から通常営業に戻る予定です。
あっ、でも雑誌発売とかは宣伝させてもらおうと思ってるので、皆さまどうか、魚屋や部長や大工を見るような目で、あたたかく見守って頂ければと思います。
それではまた。