古民家リノベーション体験談106 土間玄関づくり・段差編
【前回までのあらすじ】おじいちゃんの親子丼は美味しかったです
おはようございます。
これを書いているのは朝の8:50ですが、さっき大工さんから「朝充電したはずのスマホの充電が5%しかない」という緊急LINEが入りました。
僕は「働け」とだけ返しました。
皆さんも現場でLINEしてる大工を見つけたらしばきましょう。
さて本題。
タイトルの通り、本日は「段差」について解説していきたいと思います。
段差について熱く語る、なかなかそんなブログは無いのではないかと思ってます。
なんかもう好きな子と教室に二人きりになった時に推しバンドの曲のベースラインの美しさについて必死で語ってしまう陰キャみたいになってますが気にしないぜ。
で、段差。
以前からポーチにまつわるお話で、いったん上げて、庭にステップ作って降りるとか、逆に土間とポーチには段差はつけたくないとか、なんかそんなことを書いてきたと思いますが、それはなぜなのか?
という疑問に対するアンサーです。
まず、人間は実はすごい繊細な生き物です。
特に日本人の感覚は繊細だと思います。
「楽しみにしていたスマホカバーですが、早速装着したところ2mmほど浮きがあります。そのため画面と縁がフラットにならず、強いストレスを感じ、結局ゴミ箱に捨てました。皆さん、このメーカーのカバーは絶対に買ってはいけません!!」みたいなレビューを投稿する民族って日本人だけじゃないでしょうか。
まあスマホカバーはどうでもいいんですが、段差の話でいうと、日本家屋においては古来より「段差」は位の違いを示す重要な要素でした。
土間、ダイドコロ、次の間、座敷などの空間には「段差」が設けられてあり、身分が低い者は、空間と空間のちょっとした段差を超えることが許されなかったのです。
つまり僕が何を言いたいのかというと、「ちょっとした段差でも人の無意識に結構作用するよ!」ということです。
自意識じゃなくて無意識にね。
特に飲食店やアパレル、その他ショップなんかそうじゃないですかね。
皆さん一度「段差」に注目してお店を歩いてみてください。
ちょっと凝ったお店なんかは、案外あちこちに段差があったりしませんか?
前にも書きましたが建物内に段差をつけるのってめんどくさいんですよ。
でもつけてる。
わざわざ。
なぜか。
それは「一瞬気持ちが切り替わる感じがする」からです。
これは自覚できるものじゃないので、言われてもピンとこないかも知れませんが、たとえば新幹線や飛行機の中で靴を脱いだ時の感覚に近いかも知れません。
靴を脱いだ瞬間に、なぜか一瞬だけ「家でくつろいでる感」をフワッと感じませんか?
試着室でペラペラのカーテン閉められた瞬間に、すぐ側に知らん人がいっぱいいる超パブリックな場所なのになぜか「落ち着ける個室空間」みたいな気分になりませんか?
そのように人間の五感はけっこう敏感で、少しの手触りの違いや、光の量の差、床の傾きなんかを超繊細なセンサーで感じ取って、それを脳に送信しながら暮らしているわけです。
でね、
段差っていうのもそんな効果があるのですよ。
それが、僕がわざわざ土間に段差を作った理由です。
これがあるから、なんかちょっと、なんか、空間として、非日常な雰囲気が出ると思ったのです。
そしてそれはポーチから庭に降りる時も同様です。
なんかちょっと、特別なところから、庭に降りる感じがするのです。
こういうのを普通の住宅でやろうと思ったら、ちょっとした小上がり、スキップフロアになったりするんでしょうが、古民家は規模が違います。
土間ごと小上がり!
これは設計というか事前に計算して帳尻を合わすのがめんどくさいだけで、段差をつけるだけならお金はそんなにかからないのでオススメです。
凝った床材を貼るより、たぶん段差をつけた方がラグジュアリー感は増します。
そしてもう一つのポイントとしては、「段差があると思われるところの段差を逆に無くす」というのも非常に有効です。
このように。
これもこれで、非日常感、特別感がアップします。お店みたいに段差がなく空間の外部と内部が繋がってる、でもこれはお店じゃなくて住宅、というところのズレが、無意識に面白いのです。
ちなみに段差無しポイントはこのポーチだけでなく、追々ご紹介する座敷と仏間のところでもやってます。
「段差を無くす」という部分だけ見ればそれはただのバリアフリー化ではないのか、と思われるでしょうが、違うよ。ぜんぜん違うよ。
僕はバリアフリーなぞクソ食らえ!!
ただし老後は除く!!
と思っている人間です。
段差を無くすポイントを選ぶ観点が違います。
ここは無くした方が面白い、ここは段差をつけた方が面白い、という発想なので、効果が全然違うのですよ。
そんな素敵な段差ですが、一つだけ、僕が人間の無意識を見誤っていたところがあります。
こちらをご覧ください。
これ、なんで一段上がったところがまだコンクリで、途中から足場板になってるか、僕の意図が分かりますか?
縁まで足場板にしてしまったら、あ、ここから部屋だ、と思われて、お客さんに靴を脱がれるんじゃないかと思ったんですよ。
でもこうして続けてコンクリにしておけば、ここも土足でOKだと分かってもらえるかなと。
いちいち「ここも土足で大丈夫なんですよ~」て言わなくても分かってもらえるかなと。
思っていたんですが。
分かってもらえませんでした(涙)。
もーほんま「ここって土足ですか?」て訊かれる確率98%!
ちょっと土間で待ってもらってる隙にお客さんが靴脱いで裸足で歩き回っててアワアワってなる確率83%!
段差のところに「土足でお上がりください」みたいなプレート置きたい気分100%!!
甘かったっすわ。
やっぱ人間ってこっちの想定した通りに動いてくれませんね。
一応こんな風に、素足で踏むところは木に変えて、コンクリ部分は土足なんですよ感を出してみたんですが、伝わりませんでした。
ぼく、よく都市デザインとか公園の設計で有名建築家が「この左のエリアを【陰】、右のエリアを【陽】の空間とし、その二つが中央で交錯するポイントを【ゆらぎの場】と名付け、双方に相対する位置にベンチを設けた。人間に本来内包されている陰と陽の感覚を保ったまま、人々は【ゆらぎの場】で交わり、触れ合い、自己と他者を交歓するのである」とか言ってるベンチでホームレスが昼寝してるのを見て笑ったりしてるんですが、それと同じことを、僕もやらかしたのだと、非常に反省しております。
人の意識は繊細だけど、その繊細なところを他人である自分が理解できてると思ったらあかんよね。
というお話です。
ともあれ、他人のことは置いといて、自分的には段差の効果はバッチリありました。
ほんと段差つけて良かったと思ってます。
まあゆうても「ここって土足ですか?」と言うお客さんも、土足かどうか分からなかっただけで、一段上がった瞬間にはきっとその違和感を感じ取って、なんか、なんかちょっと面白い、と感じてくれてると思いますよ。
以上、今回は段差にまつわるお話でした。