古民家リノベーション体験談35 住む家がなくなった
【前回までのあらすじ】ついに北極の寒さに気付いたホッキョクグマだったが…?
前回は離れを解体したことと、なぜ解体したのかを話しました。
しかし、そんなことより大きな問題がここに横たわっていることに、一体何人の読者様がお気づきでしょうか。
考えてみてください。
僕たちは、暗くてカビだらけの母屋を放置して、1年間プランを練りながら、離れに住んでいたわけです。
で、今回、離れを解体したと。
ん?
あれ?
じゃあ、僕らどこで寝るの??
ということで今回の悲惨なタイトル。
まあ自分で選んだ段取りなのでしょうがないんですが、何も知らない子供は完全にそういう状態だったと思います。ごめん。
そうなんです。
ユンボが入ってバキバキってやった瞬間から、僕ら寝るところがなくなったんです。
それでどうしたかというと、家財道具を全部母屋に押し込んで、ブルーシートかけて、旅行バッグひとつで僕の実家に転がり込みました。
3ヶ月だけ居候させてもらうという契約でしたが、実家、えらい迷惑です。
娘が出戻ってきたどころではありません。息子一家が突然押し寄せてきたのです。
しかも、僕の実家は普通の家です。
「いつでも気軽に使える空き部屋」とかはもちろん一切ないです。
ということで僕ら一家は、死んだばあちゃんの部屋(6畳の仏間)で、暮らすことになりました。
息子が毎日仏間のおりんをYOSHIKI並に叩きまくります。
死んだばあちゃんもえらい迷惑です。
普通、こんなことは起きないはずなんですよ。
普通のルートで家を建てれば、クレバーな人たちがスマートなプランを立ててくれて、施主様はソファに座ってポテチ喰いながらビフォーアフター見ている間に家が完成するんですよ。
でも僕は独自ルートで古民家を見つけ、何も考えずに先に買っちゃって、住みながらあれこれ考えたので、工事となればどこかに行かざるを得なかったのです。
が。
この「住みながら考える」というのが結果的に正解だったと思います。
1年住んでみて、その家のいいところと悪いところが分かりました。
1年住んでみて、冬の寒さや夏の暑さ、太陽の当たり方、湿気の多い場所、大雨の時の水の流れ、人通りの有無、風の抜け方などなど、あらゆる情報が蓄積されていったのです。
もちろんそのビッグデータは、リノベーションプランにフル活用されました。
で、僕の生活がどうなったかというと。
実家では仕事ができないので、残された母屋を仕事場にして、実家からそこへ通っていました。真っ暗な母屋に仮設電源を引き、そこにPCラックを置いて、家財道具に囲まれた暗い部屋で毎日仕事をする日々。
ちなみにその部屋は解体工事によって正面の壁がありませんでした。
今流行りのシェアオフィスどころではありません。
大自然とシェアリングです。
これでは落ち着かないので、自分で新聞紙を貼りましたが、風が吹くたびに「バフッ」「バフッ」といいます。
床も同様で、畳を捨てたあと、その下のバラ板を打ち直してそこにブルーシートを張ったんですが、いかんせん隙間だらけなので、床下から吹き上がる風に「バフッ」「バフッ」といいます。
僕は壁「バフッ」床「バフッ」壁「バフッ」床「バフッ」みたいな劣悪な環境で、毎日夜中まで仕事をしていました。
当時のことはあまり思い出したくありませんが、仕事部屋の写真が残っていたのでご紹介します。
はい。なかなかのものです。
これは9月の写真なんですが、古民家なので夏は涼しく、こんな状態でも大丈夫でした。
ただキツかったのは土埃とカビ臭。
大事な家具たちが、食器たちが、土埃とカビ臭に晒されてブルーシートの下で長い眠りについているわけです。それを横目に仕事するわけです。
実家とは言え、借り物の茶碗と、借り物の箸。借り物のお風呂に入って、借り物のドライヤーで髪を乾かす。
なんでしょう、この辛さ。
自分で選んだくせにこの辛さ。
僕がおっさんじゃなかったらきっと泣いてたと思います。
おっさんじゃなかったら耐えられませんでした。
ああ、おっさんでよかった!
とか言って余裕こいてた僕に、この後やがて「冬」という悲劇が襲いかかるのですが、そのお話はまた後日。
さて話を元の時間に戻しますと、離れの解体です。
何日もかけて家が潰されていきます。
立派な梁が屋根から下ろされるのを眺めていた親方が、ふと「もったいないのぉ」と呟きました。
僕の考えや判断を分かった上で、それでも口をついて出てきた言葉です。
なんか僕は、何気ないその言葉を今でも覚えてます。
「ここまで決断したんやから、ちゃんと形にせんとあかんなぁ」と、その時の僕は心に誓いました。
では最後に、それから2年かかりましたが、さっき紹介した仕事部屋の「形になった」アフターをご覧ください。
同アングルです。
ああダメ、おっさんでも泣いちゃう。
おわり。