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古民家リノベーション体験談その後 いい感じの壁があったので本棚つくった話・その2

今回も引き続き本棚づくりのお話です。
前回の記事はこちら。

壁にベニヤを貼る
さてとりあえず壁一面にコンパネは貼った。
ここからどうするかというと、塗装ですね。
さすがにコンパネのままじゃ格好がつかないので、色を塗って安っぽさをごまかします。
もちろんペンキ屋さんに頼むお金なんか無いので、DIYですね。
使うのは自然塗料。
それを刷毛やウェスにしみこませて、壁全体を塗りつぶしていくのですが、写真では伝わりませんよね、ここの室温たぶん40℃くらいあるんですよ。
そんな環境じゃとてもじゃないけど塗装なんてできません。
そう、彼ら二人を除いては…

てことでカモンボーイズ!!

壁の塗装をする子供たち

いやーもう最高ですね。
この時ほど「小学生の気温に対する無頓着さ」に感謝したことはありません。
真冬でも半袖短パンで過ごす生き物、それが小学生。
ひいては真夏で汗ダラダラかいても平気で活動を続けて最終的に倒れる生き物、それすなわち小学生なのです。
めっちゃ塗ってくれる。
まさに「大丈夫か一応気にするけど余裕ぽい(Daijobuka Ichiokinisurukedo Yoyupoi)」、略してD・I・Yだよ!!

一時間くらい塗ったところでお昼休憩。
君たちおつかれさま!
大変だったね!
さあ、これで汗をふいて。Tシャツも着替えて。
そして俺のために昼飯を作ってくれ。今すぐにだ。

次男が踏み台に上って食材を刻み、

長男が踏み台に上ってソースをつくり、

マリナーラ

わしは盛り付けるだけと。
うんまー☆

てか、これ大丈夫ですか?
児童労働福祉なんちゃら法に引っかかってない?
大丈夫?
ていうかあれですよ、児童とか言ってるけどさ、こいつらちっさい大人ですからね。
こないだTwitter(X)にも長文で投稿したけど、僕は「子供」という概念は認めてないですから。
できることはやってもらう。
働かざる者食うべからず。
当然でんがな。

引き続き塗装をする子供たち

メシを食い終わったら自分たちの皿を洗い、受刑者のように再び労働へ戻っていく子供たち。
おお、めっちゃ進んでるやん!
よく見ると足下にアホみたいに塗料こぼしてるしTシャツとズボンにめっちゃ塗料ついてるけどそれはまあいい。
お父ちゃんはめちゃめちゃ助かっているのである。

もちろん仕上がりなんか全然きれいではない。
というか汚い。
ムラありすぎ。
でもこれでいいんだよ。
家づくりってさ、こういうことだからな。
美しい作品作ってんじゃねえんだよ。
誰かに褒められるための道具でもねんだよ。
家は、自分たちが、暮らすための場所。自分たちがつくり、自分たちが守り、自分たちが気に入る場所である。
他人の視線、他人の評価なんかウルトラどうでもいいんだ。

家は商品ではないし、もっというと、モノでさえない。
分かりにくい言い方を許してもらえるなら、家とは、運動の産物である。
まず最初に「家」という立派な完成品があって、お金を払ってそれを手に入れるのではなく、私たちが生きていこうとする時の、労働、思考、工夫、欲望、そういった人間の運動が結果的に生み出した存在、それが「家」と呼ばれるものの正体なのだ。
僕が古民家に魅力を感じているのはそこ。
ものですらない、というところ。
もし仮にこの家が「もの」なんだったら、火災や震災で焼失してしまったり、生活に困って売ったりした時に、僕らの家はなくなってしまう。
でもそうじゃないのよ。
こうしてヘタクソな塗装をして、何が残るのかというと、「ヘタクソな塗装の本棚」ではなく、「本棚を作った僕たち」という経験、運動の記憶が残る。
もしその本棚が壊れても、僕らの運動の記憶は壊れない。
すなわち、いつでも僕らの家は復活できるし、どこにだって、どうにだってつくっていけるのだ。

新建材だらけの工業化・製品化された家を買ってしまったら、それは製品なんだから、製品が許容する範囲で、小さく暮らすしかないです。
でも製品化されていないものを手に入れると、とたんに「家」の意味が変わってくるのよ。

よく「それだけ手を入れたんだから、愛着があるでしょうね」って言われるんですけど、ぼく、愛着なんか何もないよ。
愛着ってのは「もの」に対する感情でしょ。
ぼく、ものだと思ってないから、愛着を感じてないんですよ。
正直いつでも引っ越せるし、いつでも失える。
35年ローンという縛りはあるけど、まあそれは金の問題であって、精神には及ばない。だからなんとか、どうにかできる。
家に手を入れるのは当たり前。それは何も特別なことじゃない。
僕が得たものは愛着ではなく、家をつくっていく課程の中で身につけた「家づくり」という根源的なタフネスなんだろうなと思います。

長々と語ったわりに僕今回なんもやってへんな。
まあよい。
つづきます。

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