古民家リノベーション体験談95 渡り廊下はべんり
【前回までのあらすじ】仮に顔認証だったとしても表情筋が全部死んでるので認証通らない説
紆余曲折を経てやっと完成した渡り廊下ですが、はっきり言ってめちゃくちゃ便利でした。
今回、僕は全国渡り廊下普及委員会の大阪本部長として、渡り廊下のメリットを存分にご紹介したいと思います。
まずメリットその1。
渡れる!!
これはマジで最重要です。渡れることは素晴らしいです。
離れを本当に離すことによって景観がよくなり、庭が明るくなり、母屋に日射しが入って暖かくなり、風も通るようになり、これは我が古民家リノベーション工事においてナンバーワンの功績ではないかと思いますが、その功績を支えているのが渡り廊下。
普通の住宅にはなかなか渡り廊下というものはありません。
というか「廊下」自体がありません。
なぜなら現代ではできるだけコスパを上げるために、そして最大効率で住空間を広げるために、「廊下」という無駄なものを消し去るからです。
廊下は歩くだけのスペース。
だから無駄。
というのが現代日本の住宅の常識です。
しかしこれまでの日本人はそんな合理主義とは対極の生き方を選択してきました。
数々の建物とともに、数々の離れが建てられました。そしてそこに数々の渡り廊下を架け、数々の人が渡ってきました。
そうです。
古来より日本人は渡り廊下を選択してきたのです。
渡り廊下で渡れるおかげで、離れが離れる!
字面にすると「頭痛が痛い」みたいな感じになりますが、でも実際それが最大のメリットです。
…まあそれが日本人の能動的選択だったかどうかは知りませんが、少なくとも我が家においては最良の選択だったと思いますよ。
そしてメリットその2。
外感がすごい!!
伝統的な建築、たとえばお寺とか、寝殿造りとか、そういう建物についてる渡り廊下って、壁がなくて、屋根と手すりと床板だけで、ほとんど「外」みたいな雰囲気じゃないですか。
僕、ああいう空間を歩くのがなんかすごく好きなんですよ。
だから自宅の渡り廊下も最初はそんな形にしようと考えてたくらいです。
結局、最終的には片面が壁、片面がぜんぶガラス張りの古建具、という仕様に落ち着いたんですが、それでも数メートル全部ガラス張りで隙間だらけの廊下を歩いていると、実際「外」感がすごい。
どういうことかというと、まず歩きながら風景を楽しめます。
家の中に居ながらにして「紅葉を眺めながら散歩する」という行為が一日に何十回も発生するのです。
ここ数年、なんか以前に比べてストレスが溜まらなくなって目つきが優しくなって物腰が柔らかくなったんですが、ひょっとするとこの毎日の室内散歩のおかげかも知れません。
まあ、ただの老化の可能性もありますが。
廊下だけに!
………
…
でね、
外ってことは、自然100%ということです。
自然100%ということは、暑さ、寒さ、雨の匂いや、湿気や、近所の焚き火の臭いや、バキュームカーのかぐわしいかほりが、そのまんま堪能できるというわけです。
実際この渡り廊下は、夏は地獄のように暑く、冬は悪夢のように寒いです。
でもそれってそんなに不快じゃないんですよ。だって渡るだけだからね。一瞬真顔になるだけですよ。
それよりも、家の中に居ながら外を感じられる、というメリットの方が圧倒的に上回っています。
最後、メリットその3。
いろいろ使える!
実はこの渡り廊下、普通の廊下よりもかなり幅を広くとっています。
ただ渡るだけじゃ面白くないと思った僕は、ここを縁側にできないかと思ったのです。
というのも、我が家は北入玄関のため、通りに向かって北側に縁側があるんですね。てことは、日だまりの中でお茶を飲む、みたいなのができないんですよ。
そして南の窓は増築によって全部アルミサッシに替えられているので、縁側に腰掛けてスイカを食べるとか、ああいうベタなやつができません。
なのでどこかにそういう縁側を作りたいと思っていたんですが、あ、ここちょうどええやんと。
他にもちょっと腰掛けたり、子供とビー玉転がしたり、いろんなことをやってます。
ちなみに全面ガラス張りは子供たちにとって危険すぎるので、普段はこのように「アホガードⅡ」と呼ばれるベニヤ板を置いてガードしてます。
以上、そんな感じで便利で素敵な渡り廊下。
皆さんこれを「無駄」な空間だと思いますか?
僕だって図面と見積額だけで考えれば、ここは無駄だよね、となってしまうかも知れません。
でも実際住むとそんなことないんですよ。
家ってそんな合理的な考えだけで片付けられるもんじゃないです。
ネットの時代になって、IT格差が生まれて、情報強者が発言力を持つようになった世の中では、ますます「物質による損得」が物事の基準になりつつあるように感じます。
こっちの方が安いとか、こっちの方が優れているとか、得だとか、損だとか。
まあ家電製品を選ぶ時にはそれでいいと思いますけど、家づくりにおいては、その発想はどうなんかなーと思います。
たとえば、雨が吹き振ると、古い木製建具の隙間から雨が無限に入り込んできます。
それを「キヤアアアアア!!」と叫んで必死で雑巾をかける父親を、子供たちはどういう感じで見てるんでしょうか。
僕は損してるんでしょうか。
子供たちも損してるんでしょうか。
この僕の行為は無駄なんでしょうか。
とかね、
思うわけですよ。
だからこの渡り廊下は、僕の家に対する考え方を体現している象徴的な場所だなあと思っています。
まあ僕がゆくゆく高齢者になって、そんなのが面倒だと思うようになったなら、それはその時に対策すればいいんです。
損得ではなく、それもまた老化という自然な流れですから。
廊下だけに!!
……
…
廊下編、これにて完結です…