「自分の周りで古民家に住んでる人なんか誰もいないから不安」問題について
クロニカをご愛読頂いている皆さんにはいろんなご事情と目的があると思います。
親から相続した古家をどうしたらいいのか分からない人。
古家の実家を建て替えようか直そうか迷ってる人。
古民家をリノベーションしながら何か参考になる情報を探している人。
今回はそういった「既に古民家を手にしている人」ではなく、「これから古民家を手に入れようとしている人」に向けての内容となります。
すなわち「自分の周りで誰も古民家なんかに住んでないので自分はすごくマイナーで特別なことをやろうとしてるんじゃないのかいやきっとそうだそうに違いないうわなんかすっごい不安になってきたどうしよう」問題です。
でも既に古民家を手にしている人は知らず知らずのうちにそのハードルを簡単にクリアしてるんですよね。
これは例えるならネイティブとマンツーマンの英会話レッスンをはじめようと思ってる人が不安や恐怖でなかなかその最初の一歩を踏み出せない状況と似ていますが、前者が申込みフォームを前に緊張しているのに対し、後者はもうジョン(26)が家に住んでると。
毎日食卓でジョンが「イタダキマス」といって手を合わせて一緒にメシ喰ってる状態です。
この状態の人にはもう「私でもネイティブと会話ができるだろうか…?」みたいな不安はありません。
なぜなら目の前でジョンが箸をうまく扱えずツルツルのうどんの麺を何度も滑り落として「Fxck!!」と叫んでるからです。
そうして慌ててジョンに身振り手振りでお箸の持ち方を教えてる人に「ネイティブとのコミュニケーションに不安はありますか?」と聞いても「いやすいません今それどころじゃないんで後にしてもらえます?」て言われると思います。
古民家もそんなもんです。
住めば不安とか何とかそういうレベルじゃなくなるので、早い話、住めばいいんですよね。
まーでもそういうわけにはいかんよね。
不安だもんね。
てことで今回はその辺の不安について語りたいなと思ってるんですが、なぜ不安なのかというと、それはやっぱり「そんなことやってるのは自分しかいない」という、自分がマイノリティになることへの根源的な不安があるからじゃないかなと思います。
これこそが「右に倣え」「長いものには巻かれろ」のザ・日本人的メンタルですね。日本人はみんなと一緒だと安心して、みんなと違うと不安になるという、過去に他国からの侵略が一度もなかったがゆえに自己決定の経験がなくひたすらお上の言うことに従っておけばよかった農耕民族ならではの国民性を持っていますが、でもそんなこと言ったって不安なもんはしょうがないし、日本のMANGAとANIMEが好きだという理由だけで一人で日本にやって来てコミケで彼女つくってその子の実家に転がり込んだジョンのように強い自分を持って生きることは大多数の日本人にとっては不可能です。
なので日本人メンタルはそのままで、「あたしみんなと違うことやってるこわい」という不安を解消しようと思うのですが、正直、実はそれは超簡単だったりします。
あのさ今すぐ新幹線に乗って田舎に行ってみ。
みんなリアルタイムで「古民家」に住んでっから。
はい論破。
という。
もっというとできれば新幹線じゃなくてタイムマシンに乗って70年前に行ってみてください。
国民全員が「古民家」に住んでますから。
国交省のデータによると1945年の国内人口が7199万8千人らしいですが、その全員が古民家に住んでっからね。
「古民家暮らし」とかいうとなんか「バンガロー生活」とか「電気もガスもない自給自足の暮らし」みたいになんかすげえ特殊なことやってる人みたいに思われがちですが、いやいやいやと。むしろ超ウルトラスタンダードやんけと。この国におけるベタのど真ん中ですよと。僕なんかは思うわけです。
逆をいえば僕らが今使ってるものだって70年後は古くなる。
現代の家が70年も保つとは思えませんが、仮に保ったとして、古民家がすごく不便ですごく寒くてすごく危険で不安なのであれば、今僕らが住んでる家も同じように70年後の人たちに不安がられると思うんです。
でも今その家に住んでる僕らにしてみれば「は?」て感じじゃないですか。
いやわしら普通に住んでるんですけど…みたいな。
ていうかむしろ断熱性能がどうとか、耐震等級がどうとか謳われてる自慢の家じゃないですか。
それが70年経っただけで「すごく不便で住みにくい家」になります?
今使ってる死ぬほど便利で手放せないiPhoneが、70年後の未来人から見れば「不便すぎる」「使いにくい」「こわい」とか思われたとしても、そう言われれば確かにこれは不便だ…!ってなる?
ならんよね。
実際、僕のいる集落は古民家だらけでそこに今でも普通にみなさん住んでますが、その人たちにしてみれば「古民家って不便で危険で怖い、本当に快適に住めるの?」という意見は「お前は何を言っているんだ」という話ですよ。
でも周囲に古民家がないエリアに住んでる方にとってはそういった実感も湧きにくく、やはり古民家はまるで実用に耐えない、鑑賞用の骨董品のように思われるのかもしれません。
がしかし。
骨董品というと以前にアンティークカメラの話をしたことがありますが、よく喫茶店で飾られてる古いカメラあるじゃないですか。
ああいうカメラ、僕普通にメンテして使ってますからね。今のカメラと比べたらめちゃくちゃ不便でめちゃくちゃ機能が少ないけど、昔は日本国民が全員普通に使ってましたからね。
今となってはなんかすごい機械に詳しいプロにしか使いこなせないみたいになってますが、50年前はJKもJDも普通にそういうカメラでキメ顔の自撮りしてたんです。
僕の周りでだれもそんなカメラ使ってないけど、使ってみたら当然使えますからね。普通に。
それどころか写りに関しては最新のデジタル一眼よりも圧倒的に良いからね。
ようするに古民家が古くて少数派だからといって、今の家と比べてスペック的に劣る部分があるといって、不安になることは何もないのだと言いたいのです。
少数派は、言葉の通り、数が少ないってだけです。
数が少ない、だから間違っている、という考えだけは捨てた方がいいです。
同様に、スペック的に優れているものとそうでないものを比べて、そうでないものを選ぶと失敗する、みたいな考えも一緒に捨てた方がいいです。
カメラのように別の優れた点がある場合も多いし、そもそもみんないろんな環境で普通に暮らしています。
海外に出てみればもっと多様な暮らしがあります。
そんな大きなところを見て、小さい考えを捨てることができれば、あなたはあなただけの特別な世界に飛び込んでいくことができるのです。
最初は不安しかなかったジョンとの共同生活も、気付けばもう3年。
私はいつの間にか英語で日常会話ができるようになっていて、お箸でうどんを掴めなかったジョンも今では手打ちでうどんを作ってくれます。
みたいなね、
ほんとそんな感じで僕は古民家暮らしに馴染んでいきましたよ。
だからぜひ皆さんには同じ体験をして欲しいし、ひいては皆さんの周りの人々にとっての「開拓者」になって欲しいなと思います。
おわり。