古民家は音に関しても我慢しなくていい
さて今回は「音」についてお話します。
って、いきなり「音」とか言われても何のことか分かんないですよね。
簡単に言うと、ご近所さんへの騒音問題です。
マンションはもちろん、住宅地に住む方々にとっては、騒音問題というのはご近所トラブルの中でもかなりメジャーな部類に入るのではないでしょうか。
たとえば、真夜中の掃除機の音。
たとえば、赤ちゃんの泣き声。
たとえば、音楽やテレビの音量。
マンションにいたっては、歩く足音さえ気を遣っているという話を聞いたことがあります。マンション育ちの子供は静かに歩くと。
そういった「音」の問題については僕だって他人事ではありませんでした。
僕はいわゆる「マンガを読む時に声に出して笑うタイプのやつ」であり、しかもその笑い声が「フフッ」とかじゃなくて「ギャハハハハハハ!!!」みたいな感じなので、小学生の時は近所に住む幼なじみの子から「大原くんの笑い声がうるさくて勉強に集中できない」というクレームを頂いたこともありました(遠い目)。
それは中年のおっさんになった今でも変わらず、新刊マンガを読みながら「うわ!!」とか「え、こいつ巨人なん!?」とかいちいち声に出して言ってしまい、新刊をまだ読んでない嫁に「そういうの言わんといてくれる? それ軽めのネタバレやねんけど」と怒られたりします。
何の話や。
とにかくそういった他人が不愉快なサウンドを出すことについて、普通の暮らしでは皆さん我慢してると思うんですよ。
ところが、古民家に引っ越してからは、音に関しては一切の我慢がなくなりました。
もちろんこれは郊外や田舎の古民家の話であり、京町家みたいな都会の長屋の話じゃありません。
あくまで古民家が集まった、古くからある集落の話ね。
古くからある集落の古民家に引っ越すとどうなるかというと、まず、各々の土地と家がアホみたいにでかい。
これは何度か書いてますが、180坪の僕の土地が、近所で一番狭い。
うちには母屋と離れがありますが、それを足しても、お隣さんの家やお向かいさんの家の床面積の方が広い。
僕の子供たちも遊びに行く友達の家がみんなうちよりも大きいので、うちが狭いとすら思ってる。
古民家の集落に住むと、そんな狂った住環境に囲まれます。
ということはどういうことかと言うと、家の中でどんな爆音を出そうが、誰にも届かないということである。
そもそも自分の家がでかいから、その時点で、音の発生源から近所の家までの距離は遠くなってる。
さらに加えて、近所の家がもっとでかいから、ほんとに普段生活してても、近所の人たちの生活音というのは自宅のどの部屋にいても一切聞こえてこないんですよ。
だからもう、夜中でもガンガン掃除機かけますね。
ケンカして泣かされた次男が首を絞められたニワトリの断末魔みたいな悲鳴を上げてても止めませんね。
映画を観る時は映画館の音響システム並の爆音ですね。
当然M-1なんかもう笑いすぎて声が枯れてその後の嫁との感想戦ができなくなるくらい笑いますね。
こういうめちゃくちゃストレスフリーな暮らしができるというメリットは、古民家に住むまでは全然気付きませんでした。
あ、一応音漏れの範囲は外に出て確認してますよ。
どの部屋の音が、外に出てどれくらいの距離まで聞こえるのかは確認した上での蛮行です。
でも、そうは言っても影響が気になりますよね。
特に、あまりに子供たちが毎日騒いでるので、これはさすがにNGなのではないか、近所の人たちは正直うるさいと思っているのではないかとちょっと心配していたんですが、そんな折、近所のおばあさんに会ったので、子供たちがうるさいことを謝っておこうと思ったんです。
そしたらそのおばあさん、僕の顔を見るなり言いました。
「最近子供の声が聞こえへんけど大丈夫か」
……そうなんです。
この集落、お年寄りしかいないので、全員耳が遠(以下自主規制)。
そんな思わぬ特典ボーナスもあり、僕は毎日「音」に関してはやりたい放題やってるんだぜぇ~ギャッハッハ!!
という話なんですけどね。
そんな暮らしの唯一の難点は、ボリュームMAXにチューンされた子供たちが都会に出かけた時に、その場にいる全員が振り向くくらいのクソデカボイスで騒いでしまうということ。
こないだの授賞式も家族でいいホテルに泊まったんですが、もう山で捕まえてきた野犬を二頭放り込んだみたいな騒ぎで、さらにそれを叱りつける僕の声が一番でかいという、いずれにせよ誰かに迷惑をかけるという状況になってしまって大変でした。
ただそれでも、我慢するよりはいいんじゃないかなって思うんですよ。
我慢しない生活は、メンタルが健全に育成されると思ってます。
古民家ってそう考えると、ほんとに「我慢」とか「制約」から自由なんですよね。
僕はよく古民家の特長として「壁がない」ことを挙げます。壁がないので、視線が外から家の中を抜け、反対側の外まで通るのだと。
そこには壁に遮られまくった現代の住宅の息苦しさはありません。
そして視線が通るってことはつまり、音も通るってことです。
すごい遠くにいる子供たちを呼ぶのに、大きな声を出せば、そのうち遠くから「ドタドタドタ…」と走ってくる足音が聞こえてきます。
誰かがお風呂に入る音が聞こえ、料理の音が聞こえ、どこかで窓を閉めた音が聞こえてくる。
そういうのって何かすごく自然に近いというか、生き物としての安心感みたいなものを感じるんです。
笑いたい時に大きな声で笑うこと。
誰かの生活音が聞こえていること。
こういう当たり前のことが、当たり前のこととして、生活の中にあるということ。
古民家の魅力は、そんな見えにくいところにも存在するのだと思います。
ということで今回は「音」についてお届けしました。
それにしてもうちの二頭の野犬はいつか社会性を身につけてくれるのでしょうか。
このまま普通に保健所に送られないことを祈るばかりです。
おわり。