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「田舎ナメんな」って言われた話

今回は謝罪回です。
田舎にお住まいの皆様、大変申し訳ございませんでした。
生まれも育ちも大阪で、いろんなところに住んだとは言え、よく考えてみればすべて大阪・東京・神戸の通勤圏だった僕が、田舎を語るなど100億光年早かったのだと、今は反省しております。
いや何の話かというとね、先日、学生時代からの古い女友達二人がうちに初めて遊びに来たんですよ。
ちょっと前に喋る機会があって、俺、いま古民家に住んでるねんと。
かなり田舎やけど、おかげで庭も広いし、快適だから、一度遊びにおいでよ~と。
いつものようにまあそんな話をしたんですよ。
で、二人が遊びに来ることになって、最寄りの駅まで迎えに行ったんですね。
そしたらロータリーの時点で「え、めちゃめちゃ都会じゃん」って言われて。
いやここは実際の最寄りじゃなくて、大きい方の駅やからね。ほんとの最寄りはすごいちっちゃいのよ。見たらびっくりするで~
とか言いながら数分走って、地元の集落の中に入っていって、ここやねん、と家の前に車を停めたんですね。
僕としては、都会のマンション暮らしの彼女たちだから、実際の集落や古民家を見て、うわーすごい田舎~とか、うわ~すごい家大きい~みたいなリアクションが来るだろうなって思ってたんですよ。
そしたら、
「は?」
みたいな。
そんでこっちも
「え?」
みたいな。
え? 何? なんかおかしかった?
混乱する僕に友達が言いました。
「田舎田舎って言ってたし、どんな山奥なんだろって思ってたら、いきなり着いてびっくりしてるんだけど」
するともう一人の友達が吐き捨てるように言いました。
「田舎ナメんな」

その時、僕は突然思い出しました。
彼女たちがガチの田舎出身者だったことを。
一人は長野、一人は愛媛の山の中。
僕はコーヒーを淹れながら「いやでも、大阪にしては田舎やん? 庭もこんなに広いし、自然いっぱいで」と言い訳すると、長野の友達が冷たく言い放ちました。
「これ自然じゃなくて人工じゃん」
人工…
庭に対して思いもよらぬ単語が飛んできた僕はさらにうろたえ、取り繕おうとします。
「でっでもほら、大阪に出て行くにもけっこう時間かかるし…都会へのアクセスはそんなに良くないし…」
「船が出んのよ」
「えっ?」
「海が荒れてたら、船が出んのよ」

そうです。
僕は田舎というものをまったく分かっていなかったのです。
そしてこれまで「田舎暮らし」とか「田舎のいいところ」とか「田舎に引っ込んだけど快適~」とかそういう話をブログやインスタでしまくってきたことを思い出し、自分が井の中の蛙であったことを深く恥じ入りました。
思えば僕の親族、みんな大阪です。
親戚の家に行っても大阪、兵庫県の嫁の実家も都市通勤圏なので、僕はこれまで「田舎」というものから遠い世界で生きてきたのでした。
コーヒーを飲みながら説教は続きます。
「だいたいあんたね、長野じゃこんな窓だらけの家ありえないから。凍結すっからね全部」
「その日のコーデはまずスノーブーツにどう合わせるか考えるんだからね。自由なんかないよ」
「都会の人がIターンで来るけど、毎日1時間も2時間も雪かきできんの? って思うよね」
うう…
返す言葉もねぇ…
さらに愛媛の友達も追い打ちをかけます。
「田舎から出てきた人は電車で人に酔うんよ」
「だいたいこんなたくさん信号機あるところは田舎とは言わんよね」
「うちなんかはじめて人に送ってもらった時に暗すぎて方位磁石出されたんよ」
「しかも遊ぶ時は電車乗ってラフォーレ原宿松山っていうわけのわからん名前の施設に服買いに行くんよ」
うう…
オモロエピソードのレベルが違いすぎる…
僕は彼女たちの田舎トークを聞きながら、自分が今まで書いてきた田舎ネタを、本物の田舎の人がどんな顔で読んでいらっしゃったのかと思って逃げ出したくなりました。
「うちの実家の二階から撮った写真見る?」
そう言われておそるおそる彼女のスマホを覗き込むと、そこには見渡す限り何もない緑の荒野が…
「今でも実家で朝起きてメイクしてたら、ふと何のためにメイクしてるのか分からんくなるんよね」
でしょうね、と肯くしかありませんでした…

いやまあ薄々は思ってましたよ。うちの環境はヌルいと。
だから古民家の寒さ対策の記事を書いても、一応「これは大阪の話ですよ」と注意書きしていたんですが、いやあ、たぶんそんなレベルじゃないわ。
「スノーブーツ」って俺ゼルダでしか見たことないもん。
なんかもう住環境が全然違うんよね。
でも逆にいえば、そんなに環境が違うのに、日本全国の古民家のつくりが似通っているのはすごいことですよね。
古民家は同じ家は無いんですが、たとえば石場建てで、瓦屋根または茅葺き屋根で、壁は土壁に漆喰、床は畳と板張りという、基本的な要素は全国共通。
これこそが古民家が一つの「文化的な境地」に到達していたことの証ではないでしょうか。
機能にしろ、デザインにしろ、我々日本人にとって一番相応しいものが、きっと古民家なんだろうと思います。

ということで今回は謝罪回でした。
今後も僕はいろんな古民家暮らしの話を書いていきますが、それはしょせん、大阪市内まで普通に地続きでいける、雪かきや凍結の心配のない、何の苦労も知らないヌルいボンボンが書いた与太話だと思ってお読み頂ければ幸いです。
ちなみにその後彼女たちは僕の手料理をたらふくお召し上がり、みんなでゲラゲラ笑いながら、楽しい一時を過ごしましたとさ。
古い友人っていいよね。
おわり。

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