古民家再生、古民家物件、リノベーション情報など。

家づくりのコツ「振り幅」について

おっすオラおっさん!
風邪が治ってすっきり爽快!
と思いきや家族全員に伝染しちゃって今も子供二人が熱出して学校休んで一階の寝間に寝たきりになってゴホゴホ咳してるGoodなサウンドを聴きながら二階でこれを爽快に書いてるぜ!!
マジごめんやで!!!!!

ということで今回は家づくりの重要ポイント「振り幅」について話します。
て言われても何のこっちゃだと思いますが、あのね、僕、「大原さんみたいにできない」とか「大原さんのような発想力がない」とか言われることがあるんですけど、べつにそんなことないです、僕なんかめちゃくちゃ普通の感覚を持った普通の小太りのおっさんです、って毎回思うんですけど、でも何か違うところがあるんだろうなって思って、それが何かと考えてたら、あ、「振り幅」かな、って思い当たったので、今回そういうことを書こうかと思ったのでした。

振り幅っていうのはレンジです。
レンジっていうのは蛇尾丸を従えたルキアの旦那のことではありません。どこまで自分が変化できるか、どこまで対応できるかっていう、なんやろ、余分に持っている余白みたいなもんですかね。
これがあると家づくりというのはかなーり楽になる。
たとえば!
野犬って怖いですよね。
リードのついてない犬がうなり声を上げてこっちを見てたら、もう怖すぎてちびっちゃいますよね。
でも若い頃に田んぼを歩いてる時に低空飛行のB29に狙われて機銃掃射を受けたけど土手の影に隠れて助かったという93歳のうちのおばあちゃんにしてみれば、そんな犬っころが「ガルル…」と唸ったところで何も感じないどころかむしろ逆におばあちゃんが唸って犬の方が逃げますよね。
たとえば!
虫って怖いですよね。
見たこともない虫が突然リビングの床を這っていたら、ママは悲鳴をあげ子供たちは泣き叫びパパは腰が引けながらもなんとかスプレーや雑誌を駆使してその虫を窓の外に逃がすことに成功しますよね。
でもそれが虫と共に生きるうちの子供たちだったら、僕がスプレー持ってくる間に無言で指でプチって潰してしまいますよね。
これが「振り幅」です。
僕が細かいことを気にしないでいられるのも、人から見て「思い切った」と言われる判断ができるのも、全部そんな振り幅のおかげかなと思います。

で、振り幅というのは才能とかじゃなくて、経験で得られるものだと思うんです。
たとえば僕はお金があった時となかった時のどちらも経験してるので、お金の有無にはあんまり動じません。
お金があった時は、新型Macbookを買ったのにそのことを忘れてMacが未開封のまま数週間部屋に転がってました。
お金がなかった時は、電気代を節約するため真冬に電気を全部消してバケツにお湯を入れてそこに足を漬けながら真っ暗な部屋でキーボードを叩いてそのおかげでブラインドタッチが超速くなったり、当時タバコ吸ってたんですが当然のように道に落ちてる長めのシケモクを拾い集めて吸ってたりしました。
(ちなみに今は新型MacBookとシケモクの間くらいダヨ!)
そんな感じで、僕はお金に関してはその間の振り幅なら持ってるので、その間のどこに自分が位置することになっても大丈夫なんですね。
バケツは嫌ですけどね。

そして家づくりにおいても、僕はかなりの振り幅を経験しました。
今となっては最高に素晴らしい古民家で広々とした空間と素敵なインテリアに囲まれて幸せに暮らしている僕ですが、リノベの最中は水道とガスが死んでる前面の壁が新聞紙でつくられたほぼ屋外の部屋で真冬の夜中にストーブ2台つけて凍傷寸前の指でマウス握って感覚の無くなった指でクリックしてました。
だから僕は、「家は水道とガスと電気、あと屋根と壁、これさえあれば全然OK! 水道とガス最高! 壁最高~!」という精神状態にいつでもなれます。
てか素敵な古民家暮らしを実現した今でも、心の奥の方ではそんな感じで暮らしています。
蛇口から水が出た日、壁ができて風が吹き込まなくなった日、玄関ができて誰も入ってこれなくなったあの日の感動を、僕は一生忘れることはないでしょう。
今でもキッチンで蛇口をひねって水が出るたび、僕は水の神に感謝しているのです。
玄関の鍵をかけるたびに、僕は玄関の神に感謝しているのですよ。
みなさん玄関に鍵かけれるの当たり前だと思ってるでしょ。
それは玄関の神が与えたもうた奇跡なんですよ!!
ということで、僕は多少の不便やトラブルも、あの頃に比べたらザコすぎ…と思えるのです。

つまりですね、極端なことを経験すればするほど自分が自由になっていくんですよ。
家づくりで頭でっかちになって窒息しそうになってる人たちはきっと、そういう振り幅のある両極をあんまり経験してなくて、物事の「中央付近」に居続けてるんじゃないのかなって思います。
中央付近にいるのは、楽っちゃ楽なんですが、「そこから離れられない」というしんどさも併せ持っています。
中央付近というのはいわゆる「常識」とか「普通」とか「一般的」とか言われるポジションですね。
それは中央である、みんな一緒であるという概念によって守られてますが、逆に言えばそこからはみ出すことを許さない世界。
で、家づくりって、はみ出すもんだと思うんですよね。
家っていうのは人だから。
人は誰かが決めた箱の中には納まりきれないですよ。
僕の行動や家が目立つのは、僕という形をそのままなぞってるからだと思います。
僕の家は、いわばこれが僕の形ですと、誰にも胸を張って言うことができます。
僕の形につくられた家に僕が住むと、そりゃ心地いいに決まってる。
だからみんなは自分の形につくられた家をつくるべきで、じゃあそのためにはどうすればいいかというと、一度「中央」を忘れることだろうと思います。
いろんなものを見て、見るだけじゃなく実際に飛び込んでみていろんな経験をして、そうして自分の振り幅を広げていくと、やがて自分の形というものが分かってきて、家をそのようにつくっていくことができる…
そうすれば誰でもその人にぴったりの個性的で素晴らしい家がつくれるんじゃないかなと、本気で思ってます。

てことで今回は「振り幅」についての話でした。
ほんと人生ってどんなひどい経験も糧になりますね。
それではまた次回。

pagetop